エルサレムで三大宗教の聖地巡りへ
無事にイスラエルに到着し、聖地エルサレムの観光へ向かいます。
前回の記事はこちら↓
エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と3つもの宗教の聖地が集まっている場所で、世界を見てもこんな場所はここだけでしょう。
奥に見える城壁に囲まれた部分がエルサレム旧市街。
この幾重にも巡らされた城壁が、昔からこの聖地を巡って戦いがあったことを思わされます。
実はエルサレム旧市街は面積0.9㎢と、かなり小さいのです。
さらにこれが伝統的に4つの区画に分けられていて、
ユダヤ人地区、ムスリム地区、キリスト教区、アルメニア人地区(一番小さい)の4つです。
門をくぐって城壁内に入ると内部はこんな感じの細い道が迷路のように広がっています。
ではまずキリスト教徒地区から。
キリスト教徒地区には聖墳墓教会というイエス・キリストが十字架から降ろされて運ばれてきて、埋められたというお墓の上にこの教会は立っています。
中央のドームのこの建物の中には、イエスのお墓とされるものが安置されています。(写真撮影は禁止でした)
実は宿の近くにあったのでフラッと入った教会だったのですが、何か今までで一番神聖なものを感じました。
次はムスリム地区。
ムスリム地区だけあって、お店とかも全部アラビア語で書いてあるし、人々もみんなアラビア語で話しているし、こんな狭い場所なのに本当に住み分けているんだなと感じました。
イスラム教徒にとって聖地になるのが岩のドーム。ここはある聖なる石を覆ったドームなのですが、実はここはユダヤ教にとっても聖地なのです。
ユダヤ教の中では、預言者アブラハムが息子のイサクを神に捧げようとした石と信じられていて、イスラム教においては預言者ムハンマドが昇天した石だから神聖であるとされています。
厳しい荷物チェックを抜けて岩のドームへ。
完全なる対称形の美しさ。瑠璃色の陶器のタイルで装飾された外観はため息ものです。
残念ながらムスリムではないので内部に入ることはできませんでしたが、これまた今まで訪れたモスクのなかで最も美しいモスクでした。
ちょうど礼拝終わりの時間に行った時、大人数のムスリムがここから出てくるのが見えました。
イスラエル軍の兵士がもちろん監視してます。
最後にユダヤ人地区へ。
2000年前にエルサレム神殿がローマ軍に破壊されて、その際に残った西側の壁が現在の嘆きの壁です。
上から見た嘆きの壁。
下の部分だけ黒くなっているのが分かりますか?
これは人々が頭をつけて祈る位置だけ黒くなったからだそうです。
超正統派と呼ばれる、黒いスーツ、黒い帽子、独特なもみあげの人たち。
この人たちは政府から「宗教年金」というお金をもらって、仕事はしません。
代わりに祈ることを仕事にしている人たちだそうです。生活も貧困層の人たちが多いそう。
この超正統派と呼ばれる宗派は最も戒律が厳しいことで有名で、食事も厳しく決まっていて
信仰を極めるためにインターネットはなし、テレビも見ないそうです。驚き!
超正統派の人たちについて面白いブログを見つけたので気になるひとはこちら
一生働かない!1時間でスピード婚!謎に満ちたユダヤ教超正統派とは? | 進め!中東探検隊
一生懸命に神に祈る姿は、どの宗教を通じても同じ。
ということで、1キロ四方内にこんなにも異なる宗教が存在しているというのは本当に面白かったです。
まあ、元を辿ればユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じ宗教なんですけどね。
詳しくはこちら↓
ここは本当に衝撃的な場所でした。。。あの少年たちは忘れられない。
イスラエルって危険?どんな国?実際に行ってみたら...
イスラエルと聞いてみなさんどういうイメージを抱きますか?
危なそう... とか
戦争ばっかりしてそう!
というイメージを持ってる方が多いと思います。
昔から政治・宗教・民族を巡って様々な争いがこの地で起きてきました。
本当に危険なのかどうか、イスラエルは一体どういう国なのかをこの目で確かめるべく行ってきました。
イスラエル建国・パレスチナ問題の歴史
とその前に、世界史の知識があやふやな人はイスラエルの歴史的背景を確かめてみましょう。
約3000年前、この地はユダヤ人によってイスラエル王国として治められていました。
しかし、地理上、宗教上とても重要なこの土地は、たびたび他国からの侵攻を受け、ユダヤ人は世界各地に離散して住むようになります。キリスト教、イスラム教もこの地で生まれました。
長い間、国、民族、宗教が移り変わっていきましたが16世紀にオスマン帝国が支配することによって戦いの歴史に終止符が打たれます。オスマン帝国はこの地をパレスチナと呼び、400年の間オスマン帝国の時代は続きました。
そんな中、第一次世界大戦が始まり、イギリスがとんでもない約束をします。
まず、イギリスはアラブ人に対して「イギリス軍に協力するならアラブ人国家建設に協力するよ」と持ちかけます。(フセイン・マクマホン協定)
一方で、ユダヤ人の金融資本家から資金提供を受けるために「お金を出してくれるならユダヤ人の国家建設に協力するよ」と明らかに矛盾した約束をしてしまう。
これが、現在まで続くイスラエル・パレスチナ問題の発端になります。
結局、イギリスは両者とも裏切り、パレスチナを委任自治領とします。
しかし、ユダヤ人を優遇する政策を取っていたため、ユダヤ人の入植が進み、パレスチナに住んでいるアラブ人の反感も高まり、対立が深まっていきます。
第二次世界大戦後の1947年、イギリスはこの地の統治能力を失い、国連の決定に委ねられます。国連はこの地を分割することを提案し、1948年にイスラエル国が独立宣言されることとなる。
しかし、両者の間に平和が訪れることはなく、4度もの戦争を繰り返してほとんどにおいてアメリカのバックアップを受けているイスラエルが勝利し領地を拡大しました。
現在、パレスチナはガザ地区とヨルダン川西岸地区という2つに分けられています。
特に衝突の激しいガザ地区においてはイスラエルがエリア全体を囲うように壁を建設して厳しく出入りを制限しており、ガザ地区は「天井のない監獄」「世界最大の監獄」と呼ばれるほど厳しい状況になっています。
(参照:http://www12.plala.or.jp/rekisi/isuraeruparesutina.html)
ガザ地区などの現在の詳しい状況について興味のある方はこちらも読んでみてください。
パレスチナ・ガザ地区はなぜ「世界最大の監獄」になったのか?|ゼロから問題を解説 | クーリエ・ジャポン
入国スタンプはなし!?
さて、僕はトルコからイスラエルのテルアビブ空港へ飛行機で向かいました。
何か集合住宅が計画的に並んでいますね。(実はこれにもイスラエルの政策がたぶん関わっています。国が建てた住宅を安くユダヤ人に貸し出すことで、イスラエルにユダヤ人を呼び込み、ユダヤの人口を増やして実質的にパレスチナ領土をイスラエルのものにしてしまおうという政策が関わっているのだと思います。)
イスラエル空港に到着するとまず、入国審査の列に並びます。
これが長い!!普通の国だったら旅行の目的とか泊まる場所とか聞かれるだけで30秒くらいで終わりなのに、1人あたり3分くらいかかっていました。
出国審査は世界一厳しいとの噂がありますが、入国も大変だとは...
結局30分以上待って、僕の番に。
意外と優しそうな顔をしたおばさんでした。
なぜイスラエルに来たのか、イスラエルの後はどこに行くのか、職業、今まで行った国、なぜエジプトに行ったのか(エジプトはイスラエルと敵対している)などを聞かれました。
少し心配になりながらも3分くらいちゃんと答えていたらあっけなく "Enjoy Isarael!" と笑顔で言ってくれました。
実はパスポートにイスラエルのスタンプを押されると、旅人としては結構困ったことになってしまいます。↓
仮に旅券にイスラエルの査証,出入国スタンプが押されている場合,イスラエルと国交がないアラブ,イスラム諸国では入国を拒否されます。
(参照: 外務省海外安全ホームページ)
ということで、スタンプを万が一押されないかヒヤヒヤしていたのですが、代わりに入国カードのようなものを渡されて、無事にスタンプは押されていませんでした。
空港の写真は怒られそうであまり取ってないのですが、とても綺麗で近代的でした。
エルサレムへ
テルアビブ空港からバスでエルサレムへ。
エルサレム市内に入ると
初めていかにもユダヤ人な人に遭遇!
左の黒いスーツを夏場なのに来ている人は超正統派と呼ばれるユダヤ教徒の中でも最も敬虔な人ですね。宗教上もみあげを大切にしているので一生切らないそうです。
そして、敬虔なユダヤ教徒は頭の上にこの「キッパ」と呼ばれる帽子をかぶっています。神の存在を頭の上に常に感じられるようにするためらしい。
エルサレムに到着。ユダヤ人が住むこのあたりはとても道路も綺麗で洗練されていてヨーロッパみたいです。
宿のある旧市街の方へ歩いていくと
マシンガンを持ったイスラエル軍兵士に出会いました。
近づいて撮ったら怒られそうなので遠くからこっそり。
イスラエルではいたるところにマシンガンを持った兵士を見かけます。
イスラエルは徴兵制で、男性だけでなく女性も兵役義務がある特殊な国です。
だからこんな感じでマシンガンを持った女性兵士が街中を普通に歩いています。
要所要所にはこういう兵士がパトロールしていたり、検問が設けられたりしているので、セキュリティはとても厳しく、実際のエルサレム滞在中に危険な場面に遭遇することはありませんでした。
ただ、これは旅人が滞在できるエルサレムだからこそで、ガザ地区などは今でもイスラエルからの空爆やデモ鎮圧という名目で銃撃を受けたりしているのでとても危険であることは間違いありません。
日本と全く違う光景に驚かされますが、軍事力によって守られた平和というのを実感した出来事でした。
次回は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3大宗教の聖地であるエルサレムの観光をしていきます。
お楽しみに。
世界遺産カッパドキアで気球に乗る!
今回トルコに来た理由の70%はこのため!
カッパドキアをこの目で見る!
なんでも岩が自然の力で削られてすごい変な形になったものが乱立しているんだとか…
イスタンブールから夜行バスで12時間かけて向かいました。
カッパドキアとは
トルコにある世界遺産カッパドキアは奇岩地帯と呼ばれ、柔らかい地層と硬い地層が重なり合い侵食しあった結果できたキノコのような形をした不思議な巨岩が乱立する地域です。 その不思議な地形から世界遺産に認定されています。 また、キリスト教発生初期の頃キリスト教徒の隠れ家として岩を削って内部に住むようになったのを発端に、削りやすい岩質を利用して岩石をくりぬいて部屋を作るという独自の住居がとても興味深い文化を作っています。
(出典: http://www.albatro.jp/birdyard/architecture/cappadocia)
という訳で、火山岩が雨や風に削られてできた奇妙なところに洞窟を掘って、たくさんの人が内部で暮らしていた一帯のことをカッパドキアと言うそうです。
奇岩群へ
この一帯はそこら中にこんな変な形をした岩がごろごろ転がってました。
内部に入って見ると
動物みたいな形をした岩もありました
ラクダみたいな岩
ウサギ?
これが本当に自然にできたなんて信じられないですよね。
なんかエイリアンか何かが作ったんじゃないかって思っちゃうくらい。
気球ツアー
カッパドキアに来たからには乗らないわけには行かないってくらい有名な気球。
近年は相場が急上昇していて、10年前は50ユーロくらいで乗れたそうですが、125ユーロも払わないと乗れませんでした…
気球ツアーは風の穏やかな早朝に行われます。
勢いよくガスを点火してゆっくり上昇。
日の出
かわいい
カッパドキアは平坦な土地が広がっていて、気球を飛ばすのに世界でトップレベルに安全な土地だそうなので気球ツアーが人気らしいです。
という感じで写真メインになってしまいましたが、
最後にカッパドキアの夕焼けを載せてお別れです。
次回はイスラエルに向かいます。
僕が世界一周の中でも特に行きたかった国のうちの1つ。
複雑な問題を抱えた国だからこそ、その国の人に実際に会ってみて話を聞いてきたいと思います。
乞うご期待。
トルコのイスタンブールを観光!
無事喜望峰に到着し、アフリカ縦断を達成したまお。次に向かうはトルコ。
ヨーロッパとアジアの中間に位置するこの国は、昔から様々な文化が混じり合い、独特な雰囲気を生み出しています。
そして、トルコ料理は世界三大料理の一つにも数えられ、美味しいことで有名らしい!!
アフリカ料理に飽きていた俺にとっては本当に嬉しい!!
さて、ケープタウンからドバイ経由でイスタンブールに向かう途中のこと。
エミレーツ航空に乗っていたのですが、
なんとドバイ→イスタンブールの飛行機で運良くビジネスクラスにアップグレード!!
人生初めてのビジネスクラスなのでめっちゃ興奮と同時に緊張しました。
「今日担当の◯◯です。よろしくお願いします」みたいにCAさんに挨拶され、
「あ、はい、よ、よろしくお願いしますぅ」とキョドる。
なんと席につくと早速ウェルカムドリンクが。
機内食なのにおしゃれなメニューが配られる。
前菜
メイン
めっちゃ美味しかった。。ビジネスクラスすごい。。
タダでこんないい思いできるなんてエミレーツ航空様ありがとうございます。一生ついていきます。
3時間ほどであえなくイスタンブールに到着。今回ほど飛行機遅延しろと思ったことはありませんでした(笑)
街は一気に近代的になった!だけど教会の代わりにモスクがあるのが、イスラム圏のトルコらしいところ。
路面電車(トラム)が街のど真ん中を走ってて、観光客相手のお店が所狭しと並んでて飽きない。
トルコといえばケバブ!!
トルコアイスのおじさん
トルコアイスすごいもちもちしてて濃厚で美味しかったので、トルコ滞在中に何回も食べた!
こちらはイスタンブール名物・サバサンド。
なかなかうまい。トルコ料理最高。
食べてばかりいないで観光もしましょう。
なんか分からないけど昔使われてた地下水道らしい。かっこいい。インスタ映えしそう
近づいて見てもこの通り、立派。
ただ工事中だったの青一色の綺麗な天井を見ることは叶いませんでした。
トルコは親日国だということを聞いたことがあったのですが、トルコを旅行してて本当に日本人が好きな人が多いなと感じました。
↑ なんか道歩いてたら「お前日本人か?」と声かけられて「そうだ」というと、昼飯食ってけ!みたいな感じになって、日本人好きの人たちに2日間連続くらいでご飯ご馳走になった。
日本語話せる人たくさんいるし。
なんでそんなに親日の人が多いのかって言うと、昔、日本がトルコの沈没船を救ったことがきっかけらしいです。他にも日露戦争で小国の日本がロシアに勝ったことが、ロシアに脅かされていたトルコを勇気づけたりとか。
昔の人のおかげで今の僕たちが好いてもらえるのは本当に感謝しなきゃ、そして僕たちの世代も次の世代のためにいいことをしていこうっていう気持ちになります。
というわけであまりイスタンブールは時間が取れなかったのですが、次回は有名なカッパドキアに向かいます!
なんでもすごい奇妙な形をした岩がたくさん広がっているんだとか。楽しみだー!
【アフリカ縦断達成】喜望峰にゴール!!
喜望峰。
アフリカ旅を始めた時からゴールにしていた憧れの場所。
正確にはアフリカ最西南端らしいけど、俺にとっては"アフリカ最南端"です。
エジプトからスタートして...
エジプト→エチオピア→ケニア→ウガンダ→ルワンダ→タンザニア→マラウイ→ザンビア→ボツワナ→南アフリカ
と東アフリカを10カ国旅してきた最終ゴール。
いよいよゴールと思うと感慨深いものがあります。
喜望峰はケープタウンから100kmほど離れたところにあるので、僕はレンタカーを借りて行きました。
初の外国での運転にテンション上がる。
ちなみにマニュアル車の方が南アフリカに限らずヨーロッパは一般的らしくて、そっちの方が安く借りられたんですけど、マニュアルの運転の仕方なんて忘れてしまったのでオートマにしました(笑)
南アフリカは日本と同じ左側通行なので、問題なく運転できます。
海沿いの景勝ルートをスイスイ
写真は撮れなかったけど、途中クジラが潮吹いてるのを遠目に見れたりもしました。
運転すること1時間。道中にペンギンが生息しているビーチがあるというので行って見ました。
これがめっちゃよかった。
ペンギンこんな至近距離で初めて見た!!
めっちゃ可愛い。。
気温15度くらいはあったんですけど、普通に大丈夫なんですね。
のんびり過ごすペンギンたち。
なんかすんごい心が癒されました。
今まで見た動物の中で一番可愛かったです。
さて、気を取り直してそこから運転すること30分。
ついに喜望峰のある国立公園にやってきました。
まずはケープポイントという見晴らしの良い灯台のある場所に向かいます。
この見ている方向の遥かかなたに今まで旅してきた国が全部あるんだなあ。
この中ではニューヨークしか行ったことないな。まだ知らない世界がたくさん。
そして、そこから車で5分。
いよいよ喜望峰へ到着!!
無事、アフリカ縦断達成できました!!
心配してたスリとか強盗とかにも会わなくて本当にツイてたなあ。
ケニア以降は全部陸路のバス移動で、アフリカは移動が修行なんじゃないかってくらい辛かった。
窮屈なバスで20時間移動とか普通だったし。
最大で36時間連続してバスに乗ってたこともあった。
インド以上に何が起きても大丈夫だって、だいぶメンタルが鍛えられた気がする。
だけど、それに見合うだけのいろんな出会い、自分の中でのチャレンジもして、器が広がったいい旅でした。
このあとは、トルコ→イスラエルの後にポーランドからヨーロッパを西へ移動していきます。
スペインでは最後の修行、800kmの道を歩く巡礼が待っています。
これからもどんな出会いが待ってるのかな。
いつもブログ読んだりインスタ見たりして応援してくださる皆さんありがとうございます。
これからも山本真生をどうぞよろしくお願いします。
次回記事↑
アフリカで一番美しい町ケープタウンに到着
ヨハネスブルグでは学ぶべき人類の過去、アパルトヘイトについて考えさせられた前回記事はこちらから↓
危険なヨハネスブルグを抜けて、夜行バスで14時間。
ケープタウンに到着。
頂きがテーブルのように平らに広がるテーブルマウンテンがドシンと鎮座しています。
その裾野に広がるのが、高層ビルがそびえ立ち、欧風の家々が並ぶ洗練された街ケープタウン。
レストランも今までのアフリカの国とは比べ物にならないくらい各国の料理が揃っていて、今までの分を取り返すかのように美味しい料理をたらふく食べました。
そんなケープタウンからバスで10分ほど行くと、テーブルマウンテンとライオンズヘッドという絶景スポットがあるらしいので登ってきました。
まずはライオンズヘッド。ここは徒歩でしか登れません。
大きなゴツゴツした岩を登っていきます。
ハシゴやチェーンを使わないと登れないようなところも。
結構しんどかったですが、キリマンジャロに比べれば何ともないと思えるようになったのが成長なのかな。
1時間半ほどで頂上に到着。
惚れ惚れするくらい綺麗な街ですね。
結構落ちないかヒヤヒヤしながら撮った写真
想像をはるか上回る絶景に感動。
さて、次はテーブルマウンテンへ。
ここはケーブルカーで頂上にも登れるみたいですが、お金のない貧乏バックパッカーはもちろん徒歩。
2時間半くらい歩いて頂上に到着!
すんごい切り立った崖の上に平たい頂上が連なっているっていう本当に面白い形をしてます。
さっき登ったライオンズヘッドも左に見えます。
アフリカ縦断の疲れを癒してくれるような優しい橙色でした。
さて次回は、アフリカ最西南端:喜望峰に向かいます。
エジプトからスタートした2ヶ月のアフリカ縦断旅もいよいよ終わり。
ではまた!
アパルトヘイトミュージアムに行ってきた
凶悪都市ヨハネスブルグに無事到着し、恐る恐るUBERで観光しに出かけることに。
前回記事はこちら↑
今回は、南アフリカの暗い歴史であるアパルトヘイトの博物館に行ってきました。
アパルトヘイトとは
Wikipediaによると
アパルトヘイト(Apartheid)は、アフリカーンス語で「分離、隔離」を意味する言葉で、特に南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民や、カラードとよばれる混血民)の諸関係を規定する人種隔離政策のことを指す。
かねてから数々の人種差別的立法のあった南アフリカにおいて1948年に法制として確立され、以後強力に推進されたが、1994年全人種による初の総選挙が行われ、この制度は撤廃された。
という感じで、ほんの20年前まで南アフリカで公然と行われていた人種差別的な政策です。
アパルトヘイトミュージアム
まず、入場時にランダムで黒人か白人かが書かれたチケットが渡されます。
僕は白人チケットでした。
各自がそれに合ったゲートを通らないといけません。当時の様子を追体験できるのでこれは面白かった。
タクシー乗り場、トイレ、全てにおいて黒人用、白人用と分けられている。
黒人と白人は人種的に文化的に異なるのだから分離して発展していかなければならないという詭弁を盾に、実情は白人を格段に優遇する政策が本当につい最近まで行われていたなんてにわかには信じがたかった。
人口の8割を占める黒人に対して、南アフリカ全土の8%の土地しか与えず、黒人居住区を設定。
黒人には白人の裕福な生活を見せないようにするために、白人居住区に近づいただけで逮捕された。
18時にはサイレンが鳴り響いて、それ以降黒人居住区を歩き回った人は逮捕されたらしい。
つまり門限を破ったから逮捕というなんともひどいルールが当たり前に行われていたのだ。いくら治安維持のためとはいえ、人権が全く守られていない。
刑務所のような扱いだ。
アパルトヘイトは解決した・・・?
この黒人に対する扱いはいまのパレスチナの状況に似ていると僕は思った。
詳しくはパレスチナの記事の時に書こうと思うけど、
隣町に行くのにも厳しい検問を設けて移動を制限。
特にガザ地区は町の周り全てを壁で囲って一切出ることも入ることもできないようにしている。
イスラエルに批判的な文章をネットに載せたら逮捕。
…など人権が全く守られていない状況を現在も作り出している。
自分たちの安全のため(イスラエルの利益なため)とはいえ、アパルトヘイトの歴史を学んでいないのだろうか。。。
アパルトヘイト撤廃のために生涯を捧げた故ネルソンマンデラ大統領は生前、
「パレスチナの自由なしに、私たちの自由は達成できない」との言葉を残しました。
日本人である私たちも、平和ボケしている場合ではなく学ぶべきものがたくさんあると感じました。
次回記事↓