アパルトヘイトミュージアムに行ってきた
凶悪都市ヨハネスブルグに無事到着し、恐る恐るUBERで観光しに出かけることに。
前回記事はこちら↑
今回は、南アフリカの暗い歴史であるアパルトヘイトの博物館に行ってきました。
アパルトヘイトとは
Wikipediaによると
アパルトヘイト(Apartheid)は、アフリカーンス語で「分離、隔離」を意味する言葉で、特に南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民や、カラードとよばれる混血民)の諸関係を規定する人種隔離政策のことを指す。
かねてから数々の人種差別的立法のあった南アフリカにおいて1948年に法制として確立され、以後強力に推進されたが、1994年全人種による初の総選挙が行われ、この制度は撤廃された。
という感じで、ほんの20年前まで南アフリカで公然と行われていた人種差別的な政策です。
アパルトヘイトミュージアム
まず、入場時にランダムで黒人か白人かが書かれたチケットが渡されます。
僕は白人チケットでした。
各自がそれに合ったゲートを通らないといけません。当時の様子を追体験できるのでこれは面白かった。
タクシー乗り場、トイレ、全てにおいて黒人用、白人用と分けられている。
黒人と白人は人種的に文化的に異なるのだから分離して発展していかなければならないという詭弁を盾に、実情は白人を格段に優遇する政策が本当につい最近まで行われていたなんてにわかには信じがたかった。
人口の8割を占める黒人に対して、南アフリカ全土の8%の土地しか与えず、黒人居住区を設定。
黒人には白人の裕福な生活を見せないようにするために、白人居住区に近づいただけで逮捕された。
18時にはサイレンが鳴り響いて、それ以降黒人居住区を歩き回った人は逮捕されたらしい。
つまり門限を破ったから逮捕というなんともひどいルールが当たり前に行われていたのだ。いくら治安維持のためとはいえ、人権が全く守られていない。
刑務所のような扱いだ。
アパルトヘイトは解決した・・・?
この黒人に対する扱いはいまのパレスチナの状況に似ていると僕は思った。
詳しくはパレスチナの記事の時に書こうと思うけど、
隣町に行くのにも厳しい検問を設けて移動を制限。
特にガザ地区は町の周り全てを壁で囲って一切出ることも入ることもできないようにしている。
イスラエルに批判的な文章をネットに載せたら逮捕。
…など人権が全く守られていない状況を現在も作り出している。
自分たちの安全のため(イスラエルの利益なため)とはいえ、アパルトヘイトの歴史を学んでいないのだろうか。。。
アパルトヘイト撤廃のために生涯を捧げた故ネルソンマンデラ大統領は生前、
「パレスチナの自由なしに、私たちの自由は達成できない」との言葉を残しました。
日本人である私たちも、平和ボケしている場合ではなく学ぶべきものがたくさんあると感じました。
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