【世界最恐都市】ヨハネスブルグの凶悪伝説&実際に行ってみた
どうも、まおです。
アフリカでモテ期が来たと勘違いした過去記事はこちら↓
ボツワナを一日で通り抜け、ボツワナの首都のハボローネから南アフリカの首都、ヨハネスブルグに向かうミニバスに乗るまお。
ヨハネスブルグの凶悪伝説
みなさん一度は聞いたことのある街だと思う。危険そうだな〜というイメージで。
旅人にとっては、危険すぎるのでできるなら立ち寄りたくない街なのである。
しかし、ボツワナから南アフリカに行くにはまずこの街を経由しないといけない...
ということで、向かう道中にヨハネスブルグに関して調べてみるとロクなことが書かれてませんでした。
まずはWikipediaで、ヨハネスブルグの歴史をチェック。
アパルトヘイト統治時代、市内はアフリカーナー(ボーア人)とイギリス系が住む白人居住区と、アフリカ系やカラードなど有色人種が住む黒人居住区に分断され、黒人の白人居住区への立ち入りを厳しく制限した。殊に、1959年のバントゥー自治促進法の公布にあたっては、ヨハネスブルグにおいてもアフリカ人居住地域ソフィアタウンが取り壊され、約6万人の住民が市域南部のソウェトに強制移住させられた。白人居住区にはさまざまな優遇政策が実施され、ソウェトの住民の不満は高まっていった。1976年に至り、学生を中心としたアフリカ系住民による大規模な暴動(ソウェト蜂起)が勃発、国内外に波紋を投げかけることとなった。この事件を一つの契機としてアパルトヘイト政策は曲がり角を迎え、1993年にようやく全面廃止されるに至った。
この廃止を受けて旧白人・黒人居住区間の移動制限が撤廃されたため、1990年代には職を求めてアフリカーナー居住区に多くのアフリカ系とカラードが移住した。しかし現実には彼らのほとんどは職を得ることができなかったため、一部の失業者による犯罪が多発し、市内の治安が極端に悪化している。
(出典:Wikipedia)
そしてネット上の噂にはこんなことも...
・軍人上がりの8人なら大丈夫だろうと思っていたら同じような体格の20人に襲われた
・ユースから徒歩1分の路上で白人が頭から血を流して倒れていた
・足元がぐにゃりとしたのでござをめくってみると死体が転がっていた
・腕時計をした旅行者が襲撃され、目が覚めたら手首が切り落とされていた
・車で旅行者に突っ込んで倒れた、というか轢いた後から荷物とかを強奪する・宿が強盗に襲撃され、女も「男も」全員レイプされた
・タクシーからショッピングセンターまでの10mの間に強盗に襲われた。
・バスに乗れば安全だろうと思ったら、バスの乗客が全員強盗だった・「そんな危険なわけがない」といって出て行った旅行者が5分後血まみれで戻ってきた
・「何も持たなければ襲われるわけがない」と手ぶらで出て行った旅行者が靴と服を盗まれ下着で戻ってきた
いや、無理。怖すぎる。
これは流石に誇張されすぎてると思うんですけど、火のないところに煙は立たず。
こんな怖い街に本当は夜に着きたくないんだけど・・・
祈りも虚しく、ヨハネスブルグに着く頃には真っ暗に。20時くらい
どうやらこのミニバスが停車するパークステーションというバス停が、ヨハネスブルグでも一番治安が悪いところらしい。。。
なんでそんなところにわざわざ降ろすの(泣)
ビビっていると、バスの隣に座ってる南アフリカ出身のおじさんが親切にしてくれた。
「お前どこに行きたいんだ?Fox Streetか。だったら俺たちもタクシーを使うからお前もそれに乗りな。
この通りはマジで危険だからな。特に夜はな。明日から街を出歩くときもこの通りは絶対に歩くなよ。」
現地の人たちがピリピリしているのを見て、さらにビビる。現地の人が怖がるって相当ヤバイでしょ。
車の窓から外を見ると、なんか怖そうなヤンキー集団が歩いてる。あいつら絶対ヤバイ。そんなに言われたら犯罪者にしか見えない。
パークステーションに到着してもミニバスは止まらず。
運転手もここで降ろすのは危ないと判断したらしい。
少し100mくらい離れた場所に降ろしてくれて、みんなで逃げるようにしてタクシーに急いで乗った。怖かった。。
無事、宿にたどり着いてチェックインできました。
宿の玄関にはしっかり鉄格子がしてあります。
宿のお姉さんに言われた
「このホテルがある通りは安全だから歩いても大丈夫よ。だけど一つ隣の大通り(10mしか離れてない)は歩いちゃダメよ。
明日からどこか観光に行きたいとしても、行く前にどうやって行くか相談してね。歩きは絶対ダメ。タクシーも危ないから、UBERが一番安全。一番安いし。それに気をつけてさえいれば安全に過ごせるわよ」
よっぽど危険なんだな。。。気をつけよう。。。
翌日、実際に昼間に安全そうな大通りを歩いてみた感じだと、そこまで危険を感じることはありませんでした。
こんな感じで街は発展してます。
だけどほとんどの人は車で移動してて、歩いている人は少なかったです。
実際に、僕の知り合いの旅人でも
ズボンをナイフで切りつけられたり
公園の近くを歩いている時に首絞め強盗にあった
人がいました。
車がある現地人にとっては安全かもしれないけど、徒歩移動のバックパッカーには少し危険な街であることに間違いはなさそうです。
さて、次回はアパルトヘイトミュージアム、黒人居住区などに訪れた時のことを書きたいと思います。
では!
モテ期到来。ボツワナ人に求婚された話
どうも、こんにちは。まおです。
ヤスさんと別れ、ボツワナに無事入国した前回記事はこちら
ということで夜行バスの出るバス停までトボトボ歩いていたところ・・・
?「ハーイ!ジャパニーズ?バス停に行きたいの?送ってあげるよ!」
優しそうなボツワナ人のお姉さん登場。
3km先のバス停まで車で送ってくれるという。
ボツワナ人、神か。めっちゃ優しいやん。
なんかやたらと僕のことを気に入ってくれたみたいで、Whatsappを交換すると後でアツいメッセージを送ってくれました。
お姉さん「マオ!会えてよかった。実は私はずっと日本人の男の子を探してたの。将来恋人にそしてゆくゆくは夫になってくれる人を。」
おお!!なんか知らないがアフリカ人にモテている!いや嬉しいけど、いきなり結婚チラつかせるってアフリカ人の距離感の詰め方がすごいな!
僕「さっきはありがとう。だけど、ごめん、僕日本に彼女いるんだ。」
お姉さん「そうなの。残念。じゃあ代わりに私に別の日本人の男の子を紹介して。いい感じの人で、22~24歳がベストね。」
いや!!!日本人なら誰でもいいんか~い!!
少しでもモテ期が来たと勘違いしてた自分が少し悲しくなりました。
やっぱりボツワナの人からすれば日本人はお金を持ってるので、結婚して玉の輿的な感じになりたいのかな。
・
・
・
話は戻り、バス停まで車で送ってもらっている途中のこと。
前方を何か灰色の巨大なものが横切っている。
ん・・・?あれってもしかして・・・
ゾウじゃね!?!?
そうなのです。ボツワナではゾウが普通に一般道を歩いているのです!!
ゾウが住むサバンナを切り開いて街にしているからなのかな。
インドでは牛が道を歩いてて驚いたけど、まさかゾウが道を歩くとは。。。
アフリカのスケール、半端ないです。
さて、宿に泊まるお金もないので夜行バスに乗って移動。
カサネという町からフランシスタウンという500kmくらい離れたところまで8時間くらいかけて移動。
翌朝6時に到着して、またすぐ別のバスに乗り換えて、昼頃にはハボローネという南アフリカに近いボツワナの首都に到着しました。
ここからさらに車を乗り換えていよいよ南アフリカの首都、ヨハネスブルグに向かいます。
世界最凶都市とも言われるヨハネスブルグ。。
旅人が盗まれた、襲われた、殺された、、、
嫌な噂しか聞きません。。。
はたしてマオは生きて帰れるのでしょうか・・・
ではまた!
フェリーで国境越え!?ザンビア→ボツワナへ
どうも、こんにちは。まおです。
前回の記事はこちら↓
ザンビアでビクトリアフォールズを楽しんだ後、タンザニア、マラウイ、ザンビアと2週間近く一緒に旅してきたヤスさんと、とうとうお別れ。
最後の晩餐に、スーパーで大量のお肉を買ってパーティーすることに。
これだけ買って二人で1200円とかだったかな。ザンビア肉安い!サイコー!
こいつを・・
こうして・・・
こうじゃ!!!
漢の自炊ステーキパーティー\(^o^)/
地味にこれまで旅では外食ばっかりで自炊なんてしていなかったので、男2人の豪快飯は楽しかったです。
ヤスさんに比べてあまり旅の期間が長くない僕は先にボツワナに行くことに。
今まで旅してきて一番長く一緒にいた旅人でした。
実は年は10歳くらい離れてるんだけど、同じ旅をしている者同士だと距離感が近くなって仲良くなれるのは旅の不思議なところですね。
また日本か世界のどこかで会いましょう!
(ツーショットこれしかなかった)
ということで久しぶりに一人旅再開!
ザンビア側で無事出国スタンプを押してもらい、ボツワナの入国イミグレはどこだろうと近くにいるおっちゃんに聞いてみると
「この川を渡った先だよ」
なんと!ここは川が国境になっているのでこれをフェリーで渡らないといけないのです。
フェリーでの国境越え。初です。ロマンがありますね。
車と一緒に国境越え。
ボツワナ無事入国。
実は、ボツワナには安宿がかなり少なく、テントを高級ホテルの庭に置かせてもらって泊まるというのがバックパッカーにとっては一般的になっています。
テントを持っていない僕は、まあそうは言っても探せば安宿あるだろと高をくくって歩き回ってみたものの・・・
ない!!
安いって聞いてやって来たホテルで値段聞いてみたら一泊8000円とか。。無理無理。
というわけでね、ボツワナの見所はサファリらしいんですけど、もうケニアでサファリやっちゃったのでね。
素通りします。一気に夜行バスで南アフリカまで行っちゃおう。
ということでバス停まで歩いていたところ、事件が起きた。
次回予告:モテ期到来!?ボツワナ人に求婚される!?
【大雨】世界三大瀑布の一つビクトリアフォールズに行ってきた
こんにちは。まおです。
現在はアフリカを抜けてイスラエルにいます。
いや〜アフリカ旅も長かったので、だいぶ感覚がマヒしてたんですけど、
ザンビアに着いてビックリ!
ショッピングモールがある!泣(感動)
エスカレーターもあるし、なんて近代的!!!ここは本当にアフリカなの!?
いやだってね、これまで1ヶ月間ず〜っと↓みたいなものしか食べてなかったんですよ。
ケニア、タンザニア、マラウイ・・・どこのレストランに行っても、
ビーフorチキンしか選べなくて(機内食か)さすがに飽きてた。
それがいきなりイトーヨーカドーみたいなショッピングモールが現れて、
2ヶ月ぶりにソフトクリームを食べて、エレベーターに乗った時はもう感動。
文明サイコー!!!
心の中で叫んでました。
その分、今まで一食150円くらいだったのが500円くらいになって、物価も高くなったんだけどね。
アフリカは南アフリカに近づくほど発展していくらしいです。
さて、世界三大瀑布といえば、イグアスの滝、ナイアガラの滝・・・
そしてそれに続くビクトリアフォールズがここザンビアにはある!というので行って見ました。
公園内に入ると、猿がお出迎え。
ゴーッという音がする方に歩いていくと...
すごい。今まで見てきた滝とスケールが違いすぎる。。。
滝っていうか大地の裂け目。
近くに行ってみました。
途中でレインコートが売ってたんだけど、まあいらないやろと思っていったら、、、
ありえないくらいの水量!!
100m離れた場所でも水しぶきが飛んでくるんだけど!!
天気は晴れなのに、ここだけ土砂降りの大雨!!
めっちゃ濡れました。
マラウイから一緒に旅してるヤスさんもこのポーズ。
ヤスさんのブログ↓(実はトライアスロン選手のストイックなすごい人)
そして人生初!
ダブルレインボーも見れた!!
アフリカを旅してて、一番自然の力を感じる場所でした。
チャイナチャイナ問題
アフリカを旅してて、軽く100回は言われた言葉。
「チャイナチャイナ〜!」
アフリカだけでなくて、インドとか他の国でも「チャイニーズ?」って客引きのおっちゃんに声かけられることはあったけど、
なんかアフリカの場合は、道端で暇そうに座ってるおっちゃんとかにも、馬鹿にした感じで言われる。
「ハハハ、チャイナ〜!チンチョン!(中国語の真似)!!」
みたいな感じで。
エチオピアとかは特にそれが激しくて、道歩いてると100mおきくらいで言われた。
最初の頃は俺に構うなよ💢と思いながら
「アイムジャパニーズ!!」
って毎回主張してた。
俺はされなかったけど、子ども達に「チャイナ〜!」って言われながら石を投げられたりした人とかもいるらしい。
そういうことが原因で、
「エチオピア人ウザい、嫌い」となってしまう旅人も多いらしい。
悲しいことだなと思う。
アフリカの人からしたら日本人と中国人なんて見分けがつかないだろうから、そう思われるのは仕方ないんだけどね。
それでもチャイナ!と言われるとちょっとムカッとしてた。
だけど、よく考えてみるとそれにムカッとするってことは自分も内心で中国のことを下に見ているということ。
アジア人だからって差別するなよと思っていた自分も中国に対して同じ気持ちを持ってるって気付いてハッとした。
さらに、数日その国を旅しただけで、その国を嫌いになるってどうなんだろう。
旅人はあくまでもその国にお邪魔して旅をさせてもらってる立場。
運悪くその国でいい人に会えなかったからといって、その国のことを悪く思うのは立場が逆だなと思った。
だからこれからは、もし中国人だと思われても、そしてたとえそこに悪意を感じたとしても
こっちから笑顔で挨拶して、楽しく会話して「なんだこの中国人いい奴じゃん!」って思ってもらえるようにしようって思うようになった。
もちろん現地の人に優しくしてもらった経験は忘れられないくらい嬉しい。
だけど、もらうことばかり考えていないで、旅人として日本、アジア人を代表して良いイメージを現地の人に残せるように旅したいなって思う。
実際にアフリカを旅してみて、もちろんどの国にも悪い人はいるけど、ほとんどの人は本当に優しい人たちばかり。
ご飯をご馳走してくれたり、家に泊めてくれたり。
そういう人たちと交流した記憶だけを残していきたいなと思う。
何もないけど、たくさんの物をもらった国マラウイ
こんにちは、まおです。
マラウイって聞いたことありますか?
まあ、ないですよね!
そんな方はまずこちらの動画をどうぞ。
10カ国め マラウイ 〜世界最貧国!?〜 まおの世界一周修行の道
マラウイの場所はここ。
実はマラウイは世界最貧国の1つとも言われていて、国民の年間平均給与は350ドル(4万円弱)。日本人の平均給与が300万円くらいだから、100分の1くらいってことですね。
マラウイは周辺国のケニア、タンザニアとかにあるような鉱物資源とかがなくて、唯一あるのは国土の5分の1を占めるマラウイ湖。
だから、観光するって言っても、特にやることがないんですね。
湖に行くくらい。
最初はマラウイはビザ代が高いし(75ドル)、飛ばそうと考えていました。
ですが、キリマンジャロ登頂途中で会ったヤスさんの誘いもあって行ってみた結果・・・
アフリカで一番大好きな国になりました!
1500km以上離れたマラウイへ、ひたすらバスに揺られること3日間。
アフリカのバス移動は本当にしんどい。窮屈だし、4人乗りの車に8人とか10人乗りの車に20人くらい乗ったりする。
ようやく目的地のケープマクレアに到着。
湖沿いに旅行者向けのホテルと、地元の人々の家が混在して並んでます。
湖沿いは砂浜のビーチになっていてさながら海のよう。水も透き通っていて綺麗。
マラウイに来て驚いたのは、まず挨拶の返答率が100%なところ!
「モリバンジ!(元気?)」と挨拶するとみんな笑顔で挨拶を返してくれます。
子供も恥ずかしそうに手を振ってくれて、とても和む。
今まで旅してたアフリカは都市が多かったからかな?ムスッとした顔つきで歩いている怖そうな人が多かったけど、ここは田舎だからか、お金をむしり取ろうとする客引きの人とかも全然いなくて、ゆったりした時間が流れてる。
湖とともに暮らす人には独特の時間が流れているのかな、と思いました。
湖沿いを散歩してみると、
お母さん達は湖で洗濯していて、子供達は砂浜で遊んでいる・・・これこそが平和だなと感じました。
子供達が集まって来た!
めちゃくちゃ笑顔!
サッカーしてた子供達に混ぜてもらった
マラウイの子供のパワーがすごい!!!!
マラウイ湖に沈む夕日。
アフリカの空、特に夕焼けは特別な色をしてる気がする。
ビルとかが一切ないからかな。一面に広がる燃えるような赤色、そして夕日が沈んだ後も名残惜しそうにの空に残る赤紫色。
ここの子供達は毎日この夕日を見て育つんだろうな。
そしてここには街灯なんてないので、夜は真っ暗。代わりに夜空に広がるのは満天の星。
キリマンジャロでも人生初めてレベルの星空が見えたんだけど、マラウイの星空はそれを上回るレベルで綺麗だった。
天の川もくっきり見えて、
贅沢な夜だな〜って思った。
人間が「豊かだな」「贅沢だな」って本当に思うのは、実はお金を必要ないものなんじゃないかな。
こんなに綺麗な夕日、星空、朝日、湖が毎日見れること(それもタダで)
これ以上の贅沢ってないなって思いました。
(だからといって一回上げた生活水準を戻すのは難しいからマラウイに住めと言われたら困るんだけどね・・・)
本当の豊かさ、贅沢って何だろうと考えさせられるマラウイでした。
アフリカ最高峰キリマンジャロ登頂!4日目〜頂上へ〜
前回の記事の続きです。まだご覧になっていない方はこちらからどうぞ↓
4日目〜頂上アタック〜
23時に起床。最後にティータイムということで、ビスケットそしてココアを飲む。
頂上は気温がマイナス20度くらいらしいので、服は6枚も着込んだ。
ヒートテック2枚、フリース、ユニクロのウルトラライトダウンジャケット、マウンテンパーカー、分厚いダウンジャケットの6層構造。
緊張しつつも興奮に胸が高まる。真夜中0時に出発。
昨日までの道と全く違う、急傾斜の砂利道。ベースキャンプからはまっすぐに見えた道だったが、ジグザグになっており、滑らないように気をつけながら登って行く。
同室のジフンと一緒に登り始めたが、高山病のせいなのかペースが遅い。自分のペースを守るために追い抜いてしまい、ひたすら歩いた。ふと振り返ると、あっという間にジフンの姿は見えなくなっていた。
もうこの高度になると、おしゃべりなんてしている人はいない。酸素が薄くて呼吸がしづらいし、マイナス10度くらいの気温で、口も開けられないのだ。体感としては、猛吹雪のスキー場でリフトに乗っている時くらい寒い。
真っ暗な中、月明かりとヘッドライトの光を頼りに一歩一歩たしかめるように歩いていった。
次第に砂利道から大きい火山岩が連なる道に変わる。膝を高く持ち上げないと登れない。
息も上がってきて大きく口呼吸しないといけなくなってきた。
心臓が頑張ってる。全身に酸素と血液を届けるためにペースをあげてくれてるのを感じる。心臓を休ませなきゃ。大きい岩に荷物を立てかけて、手袋を外して水を飲む。まだ頭痛はない。気づいたら周りの景色は雪というか、凍った氷に変わっている。高度は5000mを優に超えているだろう。
そのまま足を進めて行くと、ようやくこの急斜面の終わりが見えてきた。
深夜4時頃、ギルマンズポイントに到着。
高度は5685mで、ここから頂上のウフルピーク(5895m)までは傾斜は緩やかだが、険しい岩道が続く。手足を使って全身で登らないといけないので体力の消耗が激しかった。
幸いまだ頭痛はないし、高山病にはなっていないみたい。
深呼吸を繰り返して、体力的にはほぼ限界だけど、気力だけで何とか登る。
雪山の稜線沿いを歩く。徐々に頂上が見えてきて、同時に地平線の端も明るくなってきた。
もう頂上はすぐそこ。
こんなに綺麗な色に染まる地平線を見たことがあっただろうか。
そして朝の6時。
ついに。
頂上のウフルピークに到着。
やってやったぞ...という達成感が全身をじんわりと包む。
ガイドのアブーシュがハグをしてくれた。
あの時に見た朝日は人生の中でも一番に神々しくて美しい朝日だった。
疲れを忘れて頂上ではしゃいだせいで、そのあと軽い高山病になった(笑)
下山に関しては、「登った山は下りないといけない」というのが正直な感想です。
頂上に登った疲れをそのまま引きずったまま、ほとんど休まずに下山したので、登りより下山の方が数倍シンドかった。
真夜中から歩き始めて朝6時に頂上に着き、そこからほぼノンストップで下山して、夕方の16時までずっと歩いてました。
足がまるで鉛になったかのように無感覚になるくらい疲弊していました。
しかし、全ては今夜あるサッカーの日本代表戦を見るため。感情を無にして歩き続ける。
高度2700mのところまで下りてきて、オフィスが夕方には閉まって登山証明書をもらえなくなってしまうというので、そこからはレスキューカーを使って麓の1800mのところまで下りました。
富士山にも登ったことのない僕が、ほぼ初登山でキリマンジャロに登れたことは大きな自信になったし、人生史上一番美しい絶景に出会うことができました。
もう登山は当分しないと思いますが、
これからも、自分には少し無理なんじゃ?って思うくらいの挑戦を続けていきたいと思います。
いつの日にか、前には絶対無理だと思っていた壁も軽々超えられるように成長できますように。
アフリカ最高峰キリマンジャロ登頂! Climbing Mt. Kilimanjaro まおの世界一周修行の道