トルコのイスタンブールを観光!
無事喜望峰に到着し、アフリカ縦断を達成したまお。次に向かうはトルコ。
ヨーロッパとアジアの中間に位置するこの国は、昔から様々な文化が混じり合い、独特な雰囲気を生み出しています。
そして、トルコ料理は世界三大料理の一つにも数えられ、美味しいことで有名らしい!!
アフリカ料理に飽きていた俺にとっては本当に嬉しい!!
さて、ケープタウンからドバイ経由でイスタンブールに向かう途中のこと。
エミレーツ航空に乗っていたのですが、
なんとドバイ→イスタンブールの飛行機で運良くビジネスクラスにアップグレード!!
人生初めてのビジネスクラスなのでめっちゃ興奮と同時に緊張しました。
「今日担当の◯◯です。よろしくお願いします」みたいにCAさんに挨拶され、
「あ、はい、よ、よろしくお願いしますぅ」とキョドる。
なんと席につくと早速ウェルカムドリンクが。
機内食なのにおしゃれなメニューが配られる。
前菜
メイン
めっちゃ美味しかった。。ビジネスクラスすごい。。
タダでこんないい思いできるなんてエミレーツ航空様ありがとうございます。一生ついていきます。
3時間ほどであえなくイスタンブールに到着。今回ほど飛行機遅延しろと思ったことはありませんでした(笑)
街は一気に近代的になった!だけど教会の代わりにモスクがあるのが、イスラム圏のトルコらしいところ。
路面電車(トラム)が街のど真ん中を走ってて、観光客相手のお店が所狭しと並んでて飽きない。
トルコといえばケバブ!!
トルコアイスのおじさん
トルコアイスすごいもちもちしてて濃厚で美味しかったので、トルコ滞在中に何回も食べた!
こちらはイスタンブール名物・サバサンド。
なかなかうまい。トルコ料理最高。
食べてばかりいないで観光もしましょう。
なんか分からないけど昔使われてた地下水道らしい。かっこいい。インスタ映えしそう
近づいて見てもこの通り、立派。
ただ工事中だったの青一色の綺麗な天井を見ることは叶いませんでした。
トルコは親日国だということを聞いたことがあったのですが、トルコを旅行してて本当に日本人が好きな人が多いなと感じました。
↑ なんか道歩いてたら「お前日本人か?」と声かけられて「そうだ」というと、昼飯食ってけ!みたいな感じになって、日本人好きの人たちに2日間連続くらいでご飯ご馳走になった。
日本語話せる人たくさんいるし。
なんでそんなに親日の人が多いのかって言うと、昔、日本がトルコの沈没船を救ったことがきっかけらしいです。他にも日露戦争で小国の日本がロシアに勝ったことが、ロシアに脅かされていたトルコを勇気づけたりとか。
昔の人のおかげで今の僕たちが好いてもらえるのは本当に感謝しなきゃ、そして僕たちの世代も次の世代のためにいいことをしていこうっていう気持ちになります。
というわけであまりイスタンブールは時間が取れなかったのですが、次回は有名なカッパドキアに向かいます!
なんでもすごい奇妙な形をした岩がたくさん広がっているんだとか。楽しみだー!
【アフリカ縦断達成】喜望峰にゴール!!
喜望峰。
アフリカ旅を始めた時からゴールにしていた憧れの場所。
正確にはアフリカ最西南端らしいけど、俺にとっては"アフリカ最南端"です。
エジプトからスタートして...
エジプト→エチオピア→ケニア→ウガンダ→ルワンダ→タンザニア→マラウイ→ザンビア→ボツワナ→南アフリカ
と東アフリカを10カ国旅してきた最終ゴール。
いよいよゴールと思うと感慨深いものがあります。
喜望峰はケープタウンから100kmほど離れたところにあるので、僕はレンタカーを借りて行きました。
初の外国での運転にテンション上がる。
ちなみにマニュアル車の方が南アフリカに限らずヨーロッパは一般的らしくて、そっちの方が安く借りられたんですけど、マニュアルの運転の仕方なんて忘れてしまったのでオートマにしました(笑)
南アフリカは日本と同じ左側通行なので、問題なく運転できます。
海沿いの景勝ルートをスイスイ
写真は撮れなかったけど、途中クジラが潮吹いてるのを遠目に見れたりもしました。
運転すること1時間。道中にペンギンが生息しているビーチがあるというので行って見ました。
これがめっちゃよかった。
ペンギンこんな至近距離で初めて見た!!
めっちゃ可愛い。。
気温15度くらいはあったんですけど、普通に大丈夫なんですね。
のんびり過ごすペンギンたち。
なんかすんごい心が癒されました。
今まで見た動物の中で一番可愛かったです。
さて、気を取り直してそこから運転すること30分。
ついに喜望峰のある国立公園にやってきました。
まずはケープポイントという見晴らしの良い灯台のある場所に向かいます。
この見ている方向の遥かかなたに今まで旅してきた国が全部あるんだなあ。
この中ではニューヨークしか行ったことないな。まだ知らない世界がたくさん。
そして、そこから車で5分。
いよいよ喜望峰へ到着!!
無事、アフリカ縦断達成できました!!
心配してたスリとか強盗とかにも会わなくて本当にツイてたなあ。
ケニア以降は全部陸路のバス移動で、アフリカは移動が修行なんじゃないかってくらい辛かった。
窮屈なバスで20時間移動とか普通だったし。
最大で36時間連続してバスに乗ってたこともあった。
インド以上に何が起きても大丈夫だって、だいぶメンタルが鍛えられた気がする。
だけど、それに見合うだけのいろんな出会い、自分の中でのチャレンジもして、器が広がったいい旅でした。
このあとは、トルコ→イスラエルの後にポーランドからヨーロッパを西へ移動していきます。
スペインでは最後の修行、800kmの道を歩く巡礼が待っています。
これからもどんな出会いが待ってるのかな。
いつもブログ読んだりインスタ見たりして応援してくださる皆さんありがとうございます。
これからも山本真生をどうぞよろしくお願いします。
次回記事↑
アフリカで一番美しい町ケープタウンに到着
ヨハネスブルグでは学ぶべき人類の過去、アパルトヘイトについて考えさせられた前回記事はこちらから↓
危険なヨハネスブルグを抜けて、夜行バスで14時間。
ケープタウンに到着。
頂きがテーブルのように平らに広がるテーブルマウンテンがドシンと鎮座しています。
その裾野に広がるのが、高層ビルがそびえ立ち、欧風の家々が並ぶ洗練された街ケープタウン。
レストランも今までのアフリカの国とは比べ物にならないくらい各国の料理が揃っていて、今までの分を取り返すかのように美味しい料理をたらふく食べました。
そんなケープタウンからバスで10分ほど行くと、テーブルマウンテンとライオンズヘッドという絶景スポットがあるらしいので登ってきました。
まずはライオンズヘッド。ここは徒歩でしか登れません。
大きなゴツゴツした岩を登っていきます。
ハシゴやチェーンを使わないと登れないようなところも。
結構しんどかったですが、キリマンジャロに比べれば何ともないと思えるようになったのが成長なのかな。
1時間半ほどで頂上に到着。
惚れ惚れするくらい綺麗な街ですね。
結構落ちないかヒヤヒヤしながら撮った写真
想像をはるか上回る絶景に感動。
さて、次はテーブルマウンテンへ。
ここはケーブルカーで頂上にも登れるみたいですが、お金のない貧乏バックパッカーはもちろん徒歩。
2時間半くらい歩いて頂上に到着!
すんごい切り立った崖の上に平たい頂上が連なっているっていう本当に面白い形をしてます。
さっき登ったライオンズヘッドも左に見えます。
アフリカ縦断の疲れを癒してくれるような優しい橙色でした。
さて次回は、アフリカ最西南端:喜望峰に向かいます。
エジプトからスタートした2ヶ月のアフリカ縦断旅もいよいよ終わり。
ではまた!
アパルトヘイトミュージアムに行ってきた
凶悪都市ヨハネスブルグに無事到着し、恐る恐るUBERで観光しに出かけることに。
前回記事はこちら↑
今回は、南アフリカの暗い歴史であるアパルトヘイトの博物館に行ってきました。
アパルトヘイトとは
Wikipediaによると
アパルトヘイト(Apartheid)は、アフリカーンス語で「分離、隔離」を意味する言葉で、特に南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民や、カラードとよばれる混血民)の諸関係を規定する人種隔離政策のことを指す。
かねてから数々の人種差別的立法のあった南アフリカにおいて1948年に法制として確立され、以後強力に推進されたが、1994年全人種による初の総選挙が行われ、この制度は撤廃された。
という感じで、ほんの20年前まで南アフリカで公然と行われていた人種差別的な政策です。
アパルトヘイトミュージアム
まず、入場時にランダムで黒人か白人かが書かれたチケットが渡されます。
僕は白人チケットでした。
各自がそれに合ったゲートを通らないといけません。当時の様子を追体験できるのでこれは面白かった。
タクシー乗り場、トイレ、全てにおいて黒人用、白人用と分けられている。
黒人と白人は人種的に文化的に異なるのだから分離して発展していかなければならないという詭弁を盾に、実情は白人を格段に優遇する政策が本当につい最近まで行われていたなんてにわかには信じがたかった。
人口の8割を占める黒人に対して、南アフリカ全土の8%の土地しか与えず、黒人居住区を設定。
黒人には白人の裕福な生活を見せないようにするために、白人居住区に近づいただけで逮捕された。
18時にはサイレンが鳴り響いて、それ以降黒人居住区を歩き回った人は逮捕されたらしい。
つまり門限を破ったから逮捕というなんともひどいルールが当たり前に行われていたのだ。いくら治安維持のためとはいえ、人権が全く守られていない。
刑務所のような扱いだ。
アパルトヘイトは解決した・・・?
この黒人に対する扱いはいまのパレスチナの状況に似ていると僕は思った。
詳しくはパレスチナの記事の時に書こうと思うけど、
隣町に行くのにも厳しい検問を設けて移動を制限。
特にガザ地区は町の周り全てを壁で囲って一切出ることも入ることもできないようにしている。
イスラエルに批判的な文章をネットに載せたら逮捕。
…など人権が全く守られていない状況を現在も作り出している。
自分たちの安全のため(イスラエルの利益なため)とはいえ、アパルトヘイトの歴史を学んでいないのだろうか。。。
アパルトヘイト撤廃のために生涯を捧げた故ネルソンマンデラ大統領は生前、
「パレスチナの自由なしに、私たちの自由は達成できない」との言葉を残しました。
日本人である私たちも、平和ボケしている場合ではなく学ぶべきものがたくさんあると感じました。
次回記事↓
【世界最恐都市】ヨハネスブルグの凶悪伝説&実際に行ってみた
どうも、まおです。
アフリカでモテ期が来たと勘違いした過去記事はこちら↓
ボツワナを一日で通り抜け、ボツワナの首都のハボローネから南アフリカの首都、ヨハネスブルグに向かうミニバスに乗るまお。
ヨハネスブルグの凶悪伝説
みなさん一度は聞いたことのある街だと思う。危険そうだな〜というイメージで。
旅人にとっては、危険すぎるのでできるなら立ち寄りたくない街なのである。
しかし、ボツワナから南アフリカに行くにはまずこの街を経由しないといけない...
ということで、向かう道中にヨハネスブルグに関して調べてみるとロクなことが書かれてませんでした。
まずはWikipediaで、ヨハネスブルグの歴史をチェック。
アパルトヘイト統治時代、市内はアフリカーナー(ボーア人)とイギリス系が住む白人居住区と、アフリカ系やカラードなど有色人種が住む黒人居住区に分断され、黒人の白人居住区への立ち入りを厳しく制限した。殊に、1959年のバントゥー自治促進法の公布にあたっては、ヨハネスブルグにおいてもアフリカ人居住地域ソフィアタウンが取り壊され、約6万人の住民が市域南部のソウェトに強制移住させられた。白人居住区にはさまざまな優遇政策が実施され、ソウェトの住民の不満は高まっていった。1976年に至り、学生を中心としたアフリカ系住民による大規模な暴動(ソウェト蜂起)が勃発、国内外に波紋を投げかけることとなった。この事件を一つの契機としてアパルトヘイト政策は曲がり角を迎え、1993年にようやく全面廃止されるに至った。
この廃止を受けて旧白人・黒人居住区間の移動制限が撤廃されたため、1990年代には職を求めてアフリカーナー居住区に多くのアフリカ系とカラードが移住した。しかし現実には彼らのほとんどは職を得ることができなかったため、一部の失業者による犯罪が多発し、市内の治安が極端に悪化している。
(出典:Wikipedia)
そしてネット上の噂にはこんなことも...
・軍人上がりの8人なら大丈夫だろうと思っていたら同じような体格の20人に襲われた
・ユースから徒歩1分の路上で白人が頭から血を流して倒れていた
・足元がぐにゃりとしたのでござをめくってみると死体が転がっていた
・腕時計をした旅行者が襲撃され、目が覚めたら手首が切り落とされていた
・車で旅行者に突っ込んで倒れた、というか轢いた後から荷物とかを強奪する・宿が強盗に襲撃され、女も「男も」全員レイプされた
・タクシーからショッピングセンターまでの10mの間に強盗に襲われた。
・バスに乗れば安全だろうと思ったら、バスの乗客が全員強盗だった・「そんな危険なわけがない」といって出て行った旅行者が5分後血まみれで戻ってきた
・「何も持たなければ襲われるわけがない」と手ぶらで出て行った旅行者が靴と服を盗まれ下着で戻ってきた
いや、無理。怖すぎる。
これは流石に誇張されすぎてると思うんですけど、火のないところに煙は立たず。
こんな怖い街に本当は夜に着きたくないんだけど・・・
祈りも虚しく、ヨハネスブルグに着く頃には真っ暗に。20時くらい
どうやらこのミニバスが停車するパークステーションというバス停が、ヨハネスブルグでも一番治安が悪いところらしい。。。
なんでそんなところにわざわざ降ろすの(泣)
ビビっていると、バスの隣に座ってる南アフリカ出身のおじさんが親切にしてくれた。
「お前どこに行きたいんだ?Fox Streetか。だったら俺たちもタクシーを使うからお前もそれに乗りな。
この通りはマジで危険だからな。特に夜はな。明日から街を出歩くときもこの通りは絶対に歩くなよ。」
現地の人たちがピリピリしているのを見て、さらにビビる。現地の人が怖がるって相当ヤバイでしょ。
車の窓から外を見ると、なんか怖そうなヤンキー集団が歩いてる。あいつら絶対ヤバイ。そんなに言われたら犯罪者にしか見えない。
パークステーションに到着してもミニバスは止まらず。
運転手もここで降ろすのは危ないと判断したらしい。
少し100mくらい離れた場所に降ろしてくれて、みんなで逃げるようにしてタクシーに急いで乗った。怖かった。。
無事、宿にたどり着いてチェックインできました。
宿の玄関にはしっかり鉄格子がしてあります。
宿のお姉さんに言われた
「このホテルがある通りは安全だから歩いても大丈夫よ。だけど一つ隣の大通り(10mしか離れてない)は歩いちゃダメよ。
明日からどこか観光に行きたいとしても、行く前にどうやって行くか相談してね。歩きは絶対ダメ。タクシーも危ないから、UBERが一番安全。一番安いし。それに気をつけてさえいれば安全に過ごせるわよ」
よっぽど危険なんだな。。。気をつけよう。。。
翌日、実際に昼間に安全そうな大通りを歩いてみた感じだと、そこまで危険を感じることはありませんでした。
こんな感じで街は発展してます。
だけどほとんどの人は車で移動してて、歩いている人は少なかったです。
実際に、僕の知り合いの旅人でも
ズボンをナイフで切りつけられたり
公園の近くを歩いている時に首絞め強盗にあった
人がいました。
車がある現地人にとっては安全かもしれないけど、徒歩移動のバックパッカーには少し危険な街であることに間違いはなさそうです。
さて、次回はアパルトヘイトミュージアム、黒人居住区などに訪れた時のことを書きたいと思います。
では!
モテ期到来。ボツワナ人に求婚された話
どうも、こんにちは。まおです。
ヤスさんと別れ、ボツワナに無事入国した前回記事はこちら
ということで夜行バスの出るバス停までトボトボ歩いていたところ・・・
?「ハーイ!ジャパニーズ?バス停に行きたいの?送ってあげるよ!」
優しそうなボツワナ人のお姉さん登場。
3km先のバス停まで車で送ってくれるという。
ボツワナ人、神か。めっちゃ優しいやん。
なんかやたらと僕のことを気に入ってくれたみたいで、Whatsappを交換すると後でアツいメッセージを送ってくれました。
お姉さん「マオ!会えてよかった。実は私はずっと日本人の男の子を探してたの。将来恋人にそしてゆくゆくは夫になってくれる人を。」
おお!!なんか知らないがアフリカ人にモテている!いや嬉しいけど、いきなり結婚チラつかせるってアフリカ人の距離感の詰め方がすごいな!
僕「さっきはありがとう。だけど、ごめん、僕日本に彼女いるんだ。」
お姉さん「そうなの。残念。じゃあ代わりに私に別の日本人の男の子を紹介して。いい感じの人で、22~24歳がベストね。」
いや!!!日本人なら誰でもいいんか~い!!
少しでもモテ期が来たと勘違いしてた自分が少し悲しくなりました。
やっぱりボツワナの人からすれば日本人はお金を持ってるので、結婚して玉の輿的な感じになりたいのかな。
・
・
・
話は戻り、バス停まで車で送ってもらっている途中のこと。
前方を何か灰色の巨大なものが横切っている。
ん・・・?あれってもしかして・・・
ゾウじゃね!?!?
そうなのです。ボツワナではゾウが普通に一般道を歩いているのです!!
ゾウが住むサバンナを切り開いて街にしているからなのかな。
インドでは牛が道を歩いてて驚いたけど、まさかゾウが道を歩くとは。。。
アフリカのスケール、半端ないです。
さて、宿に泊まるお金もないので夜行バスに乗って移動。
カサネという町からフランシスタウンという500kmくらい離れたところまで8時間くらいかけて移動。
翌朝6時に到着して、またすぐ別のバスに乗り換えて、昼頃にはハボローネという南アフリカに近いボツワナの首都に到着しました。
ここからさらに車を乗り換えていよいよ南アフリカの首都、ヨハネスブルグに向かいます。
世界最凶都市とも言われるヨハネスブルグ。。
旅人が盗まれた、襲われた、殺された、、、
嫌な噂しか聞きません。。。
はたしてマオは生きて帰れるのでしょうか・・・
ではまた!
フェリーで国境越え!?ザンビア→ボツワナへ
どうも、こんにちは。まおです。
前回の記事はこちら↓
ザンビアでビクトリアフォールズを楽しんだ後、タンザニア、マラウイ、ザンビアと2週間近く一緒に旅してきたヤスさんと、とうとうお別れ。
最後の晩餐に、スーパーで大量のお肉を買ってパーティーすることに。
これだけ買って二人で1200円とかだったかな。ザンビア肉安い!サイコー!
こいつを・・
こうして・・・
こうじゃ!!!
漢の自炊ステーキパーティー\(^o^)/
地味にこれまで旅では外食ばっかりで自炊なんてしていなかったので、男2人の豪快飯は楽しかったです。
ヤスさんに比べてあまり旅の期間が長くない僕は先にボツワナに行くことに。
今まで旅してきて一番長く一緒にいた旅人でした。
実は年は10歳くらい離れてるんだけど、同じ旅をしている者同士だと距離感が近くなって仲良くなれるのは旅の不思議なところですね。
また日本か世界のどこかで会いましょう!
(ツーショットこれしかなかった)
ということで久しぶりに一人旅再開!
ザンビア側で無事出国スタンプを押してもらい、ボツワナの入国イミグレはどこだろうと近くにいるおっちゃんに聞いてみると
「この川を渡った先だよ」
なんと!ここは川が国境になっているのでこれをフェリーで渡らないといけないのです。
フェリーでの国境越え。初です。ロマンがありますね。
車と一緒に国境越え。
ボツワナ無事入国。
実は、ボツワナには安宿がかなり少なく、テントを高級ホテルの庭に置かせてもらって泊まるというのがバックパッカーにとっては一般的になっています。
テントを持っていない僕は、まあそうは言っても探せば安宿あるだろと高をくくって歩き回ってみたものの・・・
ない!!
安いって聞いてやって来たホテルで値段聞いてみたら一泊8000円とか。。無理無理。
というわけでね、ボツワナの見所はサファリらしいんですけど、もうケニアでサファリやっちゃったのでね。
素通りします。一気に夜行バスで南アフリカまで行っちゃおう。
ということでバス停まで歩いていたところ、事件が起きた。
次回予告:モテ期到来!?ボツワナ人に求婚される!?