まおの世界修行ブログ

とある医学生が世界各地で修行しながら世界一周するブログ

僕が旅する意味が最近ようやく分かってきた

「君はどんな宗教を信じているの?」

どの国に行っても必ず聞かれる質問。

 

僕は無宗教です。運命の存在、ぼんやりとした"神様"の存在は信じているけど、特定の神を信じてはいない。

 

説明するのが面倒くさくて「I am Buddhist.」と言って逃げたり、神道と仏教を説明した上で、強くは信じていないことを説明したり。その度に、自分にとって宗教とは何なのだろうと考えさせられます。

 

旅道中で様々な宗教を信じる人に会いました。

瞑想を毎日行う修行者、五体投地しながらお参りをする仏教徒、モスクに集うイスラム教徒、十字を切りながら祈りを捧げるキリスト教徒。

敬虔に神を信仰している人もいれば、教会にほとんど行かないクリスチャンまで。

 

たくさんの人と宗教の話をして、それぞれの宗教の違いを勉強すればするほど、宗教がどれだけ人々の生活、歴史に根深く関わってきたかに驚かされ、もっともっと宗教のことを学びたいという気持ちになります。

 

 

一方、日本では宗教の話はタブー視されています。

 

第二次世界大戦に負けて、明治維新以降に国家神道を掲げて天皇を神格化したことを反省した影響からか、大多数の人が「宗教は危険だ」と宗教に無関心になってしまいました。

さらに宗教を信じるというと、なにか狂信的なオウム真理教などの事件を思い起こさせる影響もあるかもしれません。

 

葬式の時にはお経を読むし、新年には神社に参拝するけど、形骸化した儀式が行われるだけで、その意味を理解している人はほとんどいない。実際のところほとんどの日本人が無宗教と言ってもいいでしょう。

 

日本の自殺数やうつ病患者数に目を移すと、それらは驚くほど多くて、時代の変化のスピードに心がついていけなくて不安定になってしまっていることは確実だと思います。

そういう時に何か心の拠り所になる哲学とかを持っていればいいけど、持っていない人にとっては、宗教の力が果たす力は大きいと思います。

 

僕は医学部で勉強していますが、心の病気を薬が全て治せるワケなんてなくて、スピリチュアル的な側面は確実にあると思っています。

だからこそ人の心を支える宗教を学びたいと思って旅を始めました。

 

そんな日本人で無宗教の僕だからこそ、旅をしていて見えてくるもの、感じるものがあるのではないか。

最近僕にはそう思えてきました。

 

例えば、ある敬虔なムスリムの人にイスラム教のことを教わっていた時のこと。

 

イスラム教の素晴らしさ、他の宗教への論理的優越性を教えてもらって、

僕も「イスラム教って想像してたよりも緻密で、かなり優れた宗教だなあ、ムスリムの人たちも親切な人多いし、いいじゃん」と思っていました。

 

しかし、その人は話の途中で、キリスト教徒やユダヤ教徒ヒンドゥー教などの多神教を信じている人たちのことを

stupid people

と言ったのです。

アラーこそが唯一神でアラーを信じない野蛮で未開な人々に、イスラム教を教えてあげる必要があると。

 

イスラム教をいくら素晴らしい宗教だと思っているからと言って、その心の下に異教徒を見下す気持ちが見え隠れしているのが見えて、僕は気持ちがよくありませんでした。

結局、僕はイスラム教自体の他宗教を認めようとしない性質が感情的に好きになれず、イスラム教徒にはなれそうにないなと思いました。

 

その人からすれば、イスラム教を強く信じているからこその発言で、特に悪意はなかった。おそらく彼には、彼が信じる以外の宗教の話は全然頭に入ってこないと思うのです。

 

これはイスラム教だけの話でなくて、キリスト教ユダヤ教も他の宗教も程度の差こそあれ信じるものがあればバイアスがかかってしまうのは避けられないと思います。

 

だけど、特に信じている宗教がない僕からすれば、全ての宗教をほぼ中立に見ることができる。

さらに、僕はラッキーなことに世界各地を旅させてもらえている。

理解のある家族、多くの応援してくれる友人、その他もろもろの条件に恵まれているおかげで。

 

世界各地で、それぞれの宗教を信じる人に直接会って、一緒に時間を過ごすことで、宗教と生活の関わり、その人の宗教への熱量とかを肌で感じ取ることができます。

 

対照的に、インドに行っても、エチオピアに行っても、その国を出たことはよもや、その町を出たことすらない人ばかり。日々の暮らしをするお金を稼ぐだけで精一杯で、まさか海外を旅行するお金も余裕もありゃしない。

 

そういう人たちもいる中で、自分の行きたいところを旅できるって本当に幸運なことです。

その幸運に恵まれた人は得た経験を自国に持ち帰って共有しなければならないと思います。

昔から文化交流は、各地を旅する隊商によって行われてきました。それは今も同じ。

 

 

今後、宗教の力はますます重要性を増すはずです。日本人という立場を生かして、もっと深く宗教のことを学ばないといけない。

 

僕としては、時代の変化に伴って、イスラム教に代わる新しい世界宗教がそろそろ生まれてもおかしくないのではと考えています。

そんな新しい時代の節目に、人間の思想の根本を支える宗教、哲学を学ぶことは大いに重要だと思います。

 

せっかく1年近く旅できるという幸運に恵まれたのだから、旅で学んだ異国文化を伝えるという自分の役目を果たすべく、これからも楽しくパワフルに旅を続けていきたい!

それが自分にできるベスト、僕の役目だと考えています。

 

~以上、エチオピア14時間にも及ぶ長距離バスに揺られながら考えたことでした~

 

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最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

 

エチオピアを旅してて思ったチャイナチャイナ問題はこちら↓

maonologue.hatenablog.com

 

イスラム教は後出しジャンケン。だから強い

イスラム教の歴史

 まず、ユダヤ教が最初に生まれて、その1000年後にユダヤ教の律法主義的な状況に矛盾を感じたイエスキリスト教を作りました。

そしてその600年後に、神の教えが人々に伝わるにつれて歪められていると感じた神が、最後の預言者としてムハンマドを選び、イスラム教ができました。(イスラム教は教えています)

 

つまり、ユダヤ教の矛盾点を直すためにキリスト教が、キリスト教の矛盾点を直すためにイスラム教が作られたという歴史があるのです。

 

だから、イスラム教は論理的な勝負で後出しジャンケン的に強いのです。

 

「なんか日本から来たイスラム教に興味があるやつがいるらしい」という話を聞いたエジプトの高名なイスラム教の学者の家に招かれて、イスラム教の講義を受ける機会がありました。

僕がイスラム教の疑問点を質問しても、全て正確に答えを返されて、「キリスト教ユダヤ教には数多くの矛盾点があるけど、イスラム教はそんなことはない。イスラム教こそが唯一の正しい宗教だ」という話をされました。

たしかに話を聞いてみると、イスラム教は論理的に強くて、他の宗教に対する優越性を認めざるを得ませんでした。

 

他の宗教よりどこが優れてるの?

例えば、ユダヤ教キリスト教の経典である旧約聖書新約聖書には数多くのバージョンがあって、書き写しミスなどもたくさん見つかっています。一方、コーランは作られてから現在まで一文字もコピーミスがなく全て原本通りに正確に記述されているそうです。

正しい神のお告げは1つであるはずなのに、色々なパターンがあってしまうのはおかしいだろうと言って、それはユダヤ教キリスト教の格好の攻撃材料になっています。

 

また、一神教のはずのキリスト教は途中から父なる神、神の子イエス=キリスト、聖霊の三位一体説を唱えて、人間であったはずのキリストが神格化されました。これは、神の下に人間は平等であるという教えに反するし、信仰する神的存在が複数いるのも一神教としては問題があります。

なぜなら、創造主である神は唯一無二で、他の神の助け、存在を必要としないからです。

 

他にもキリストや聖母マリアの絵が描かれたりしているのも偶像崇拝だとして問題があります。

 

イスラム教は、その問題を全て解決。

アラー以外の神の存在は認めていないし、偶像崇拝を禁じるために、アラーの絵や像を作ってはいけません。神の下に平等であるため、預言者ムハンマドですら1人の人間として扱われており、崇拝することは禁じられています。(スンニ派)

 

このようにしてほとんどの他の宗教の問題点を解決しているから、僕は後出しジャンケンみたいだなと思いました。

さらに、イスラム教では、ムハンマドが最後の預言者だとされているので、これ以上新しい宗教を作って、「イスラム教の〇〇は間違っていた、俺たちこそが正しい神の教えを説く宗教だ」と主張するのは難しいのです。

 

後出しジャンケンで勝った上に、「もう勝負はここまで~!終わり!」と言っているようなもんです。

こんな宗教に論理的に勝つのは難しいでしょう。

 

僕の質問とそれに対する答え

A. なぜ神は唯一で、他の神がいることを許さないの?

Q. ある船に船長が複数いたら、その船は舵取りができなくなって沈む。

 

Q. なぜイスラム教の神は慈悲深い神のはずなのに、他の神(多神教アニミズム)を信じることを許さないような嫉妬深い神なの?

A. 神はとても優しいし慈悲深いため、他の神を信じることを許すが、その人は死後に天国に行けない。例を挙げると、ある家の主人に食べ物をもらい、給料ももらっている使用人が、主人のことをリスペクトしなかったら、主人はどう思うかということを考えると良い。

 

Q. うーん、それは論理的には正しいけど、他の宗教の側に立って考えればあちらが正しいということになるかもしれない

A. 君自身がどの宗教を選ぶかという視点で考えると、論理的に全ての宗教を比較してほしい。イスラム教が最も正しいということが分かるはず。

 

僕のイスラム教に対する考え

このように講義を受けたりイスラム教徒とたくさん会って、僕はイスラム教のイメージがすっかり変わりました。ニュースになりがちなテロ組織は、その教義をねじ曲げて聖戦だなどと主張しているだけで、自己矛盾に目を覆っているだけです。人を無差別に殺すテロを許すような宗教があるはずがないですから。

 

ただ、僕がイスラム教徒になるのかと言われると、それはないと思います。

 

論理的には正しくても、感情的に他の宗教の存在を許さない排他的な姿勢が僕には受け入れられないのです。

一神教は全て中東の砂漠地帯で生まれていますが、その厳しい環境の性質がそうさせているのかもしれません。

日本は伝統的には八百万の神を信仰する多神教ですが、それは海あり、川あり、山あり、森あり、という日本の豊かな自然が多神教に適していたからだと思います。

 

イスラム教にもスンニ派シーア派の対立など、もちろん多くの問題がありますし、その宗教を信じるのは自由だと思いますが、それこそが唯一正しい!異教徒は認めない!と独善性を主張するのは世界の多様性の事実に即していないと思います。(論理的にそう言いたくなる気持ちも分かるけど)

 

ユダヤ教キリスト教イスラム教も現在世界的な宗教となっているのは、それが作られた時代が混乱期にあった時です。

その時代の変化に合わせて、その現実に即して人々の心を捉えたものが世界宗教となって残ったのです。

 

世界がグローバル化を続けるのか保護主義に向かうのか、混乱期にある今、人々の心に平安をもたらす新たな世界宗教が作られるべき時なのではないかと思います。それがどのような形になるのかは全く分かりませんが。

 

瞑想をして学んだ大切なこと。

「この世で唯一不変なものは全てのものが変化するということ」

 

この原則に照らし合わせると、真実なんてものは変化するんだから、正しい宗教というのも時代に合わせて変化する。イスラム教が生まれて以降、1400年もそれに続く世界宗教が生まれてない今、新しい世界宗教が作られるのも遠くない未来なのかなと僕は思います。

 

maonologue.hatenablog.com

 

 

イスラム教って怖い?ムスリムの恋愛事情は?無宗教の僕が話を聞いてみた

 

みなさん、イスラム教って聞いてどんなことを思い浮かべますか?

ISISとかテロ起こしてるのはイスラム教の人たちだし危険そう...とか、女の人の地位が低いんでしょ?とか、正直あまりいいイメージを持っている人は少ないんじゃないでしょうか。

 

僕も世界一周修行の旅に出る前はそういう先入観を持っていました。

 

でも、全然そんなことはありませんでした

 

 

イスラム教への偏見

日本で暮らしているとイスラム教について触れる機会はとても少ないですよね。

イスラム原理主義のテロリストの事件などを思い起こして、イスラム教って怖いなって思う方も多いと思います。

 

しかしまず知っておかなければならないこととして、テロを起こしているのは、イスラム教を歪めて解釈して政治利用している一部のテロリストでイスラム教は自殺も殺人も禁じられています。イスラム教の教えで女性を下に見るような教えはなく、女性の地位が低い国はその国の伝統的な文化によるものなのです。

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むしろ、僕にとってはイスラム教は教義が緻密で論理的。キリスト教とかに比べても論理的に優っている宗教だと感じました。 

 

ただ、僕自身はイスラム教徒でも何でもありません。無宗教です。それを心に留めていただいた上で読んでいただければ幸いです。 

 

今回、旅の道中でエジプトでイスラム教の人たちとたくさん友達になり、イスラム教の一番偉い学者さんに話を伺う(というかイスラムの素晴らしさをひたすら教えられる笑)機会に恵まれたので、

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学者さんのとても豪華な家にご招待してもらった

宗教の話自体がタブーの日本で、さらに距離が遠いと言っても過言ではない宗教、イスラム教のことについて、僕が興味深かったことを書いていきます!(何か間違いがあったらムスリムの人ごめんなさい)

 

イスラム教って?

イスラム教とは、唯一神アラーとその経典コーランを信仰する一神教です。

現在の信者数は16億人。世界の4人に1人はイスラム教を信じるムスリムなんですね。

 

西暦610年、預言者ムハンマドが悩みを抱いて洞窟で瞑想していたところ、大天使ガブリエルに出会い、唯一神アラーの啓示を受けて、それをまとめたものがコーランというイスラム教の経典になります。

イスラム教は、ユダヤ教キリスト教と同じ系譜にある宗教のなかで、一番歴史的に新しいです。一応、ユダヤ教キリスト教イスラム教は全て同じ唯一神を信じていて、その神の啓示を受けた最後の預言者ムハンマドだということになっています。

 

つまり、ユダヤ教の神:ヤハウェも、キリスト教の神:父なる神(イエスは神の子とされている)も、イスラム教の神:アラーも言い方が変わっただけで、全て同じ神なんです!

 

同じ神を信じている兄弟の宗教なのに、なぜ細かい違いにこだわって争いあっているんだろうと考えてしまいます。当事者にとってはそれがとても大切なのだろうけど... 

 

イスラム教徒の務め

 

イスラム教は戒律が他の宗教と比べて厳しい。1日に5回のお祈り、1ヶ月の断食月、女性は髪を隠すような服を着なければならないなど...コーランに書いてあるからそうするのです。

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そして、ムスリムの人は驚くほど大多数の人が敬虔に教えに従っています。

お祈りの時間になると、仕事をストップしてモスクに行き、大勢で祈る...

僕もムスリムに混じってモスクでお祈りしましたが、集団の熱量、一体感を強く感じました。

 

みなさんも厳しい練習を一緒に乗り越えた部活の仲間や、山登りを一緒にした仲間などと絆が深まった...ような思い出があるでしょう。

 

厳しい戒律であるからこそ信者同士の連帯感が強くなるのだと思います。

 

観光地に行っても、街歩きをしても、どの人とイスラム教の話をしても

「おぉ!お前、イスラム教に興味があるのか?素晴らしいぜ!アラーがこの世界を作り、ムハンマドは最後の預言者なのさ!」

と熱く語ってもらいました。

 

キリスト教で教会離れが深刻化しているのと対照的だと思います。

 

1日に5回もお祈りが義務だなんて、そんな厳しい戒律を守るのは大変そう。何のためにそんなことしないといけないの?」と思う人も多いでしょう。

 

あるムスリムの友達はこう言います。

 

たしかに守ることは多いけど、お祈り自体は510分くらいだし、忙しい毎日の中で、15回お祈りの時間があるおかげでその時間だけは、世俗的なことから離れて神と自分の関係性のみに集中できる。その時間は神との繋がりを確認して安らぎを感じ、また仕事に戻ることができる、と。

 

アラーを信じ、神から定められたコーランに従って行動さえすれば、天国に行けることが保証される。

仏陀の教えだと、悟り(解脱)に達するには瞑想を続けるなどの修行が個々人必要で、そのプロセスは個々人によってかなり変わってきます。さらに悟りを開けるかどうかも定かではない。

 

一方、イスラム教の細かく定められた教えをしっかり守りさえすれば天国に行くのを保証されるのは、弱い個人にとっては大きいだろうなと思います。

 

ムスリムの恋愛事情

突然ですが、ここで問題です。

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Q. イスラム教徒の、あるエジプト人の少年には好きな女の子がいます。彼はその女の子にキスがしたいそうです。いつになったらキスができるでしょうか?

 

①いつでも。そんなことを縛るような決まりはない。

②18才以上になったら。

③女の子に告白をしてOKをもらったら。

④女の子と付き合って3ヶ月たったら。

⑤その女の子と結婚をしたら。

 

 

・・・答えはなんと、⑤でした!

 

イスラム教の教えは厳しく、それは男女の付き合いも同じです。

女性は、男性を誘惑してしまわないように、ヒジャブ🧕と呼ばれるフードを頭にかぶって、美しい髪を隠さないといけません。

 

恋愛文化は日本、欧米と全く違っていて、男女は結婚するまで貞操を保たないといけません。

日本みたいに付き合って別れてまた付き合って...みたいなことはできなくて、もし誰かと付き合いたいと思ったら、結婚を前提に考えないといけません。つまり告白は、ほぼほぼプロポーズを意味します。

 

だから仲のいい女友達がいても、付き合ったり結婚しない限り、彼女に触ることすらダメなのです。

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エジプトでは、結婚するときは男性が女性にマンションを買ってあげなければならず、女性は家具を全て用意しなければならないそうです。

だから、イスラム教は一夫多妻制を許していますが、複数の奥さんを持つことができるのはお金持ちだけだそうな。

 

日本人からすると、なんてハードモードな恋愛なんだ...て思いますよね()

 

僕の友達のエジプト人も、好きな人はいるのですが、今の段階では結婚して彼女を守ってあげようという気持ちまでにはならないため、付き合いたいという気持ちにはならないそうです。

だから今まで彼女ができたことはないし、それはイスラム世界ではごく当たり前の普通のことだそうです。 

逆にイスラムの人からすると、日本とか欧米の恋愛スタイルの方がおかしく感じるでしょうね。

 

ということで日本人からすると、遠く感じるイスラム教の話。

知れば知るほど、宗教は面白いなと感じます。

 

ではまた!

 

maonologue.hatenablog.com

 

 

 

ネパールで善意を利用されて悲しくなった話

こんにちは。まおです。

 

今は無事エジプトに着いて、イスラムのことを教えてもらいながらラマダンをしています!

ブログの更新が遅くなってしまいました。

 

今回はエジプトの前に滞在していたネパールで起こったことを書いていきたいと思います。

 

 

インドからローカルバスに揺られて5時間。ネパールとの国境に向かった僕...

 

インドとネパールの国境を抜けるとそこは天国であった。

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奥に見えるのがインド側の国境

 

インドでは外国人だと見るとタクシーの客引きがひっきりなしに寄ってきて、追い払ってもしつこく勧誘してくるのだ。(それも法外な料金で)

僕はインドには2週間くらいしかいませんでしたが、しつこく話しかけてくる客引きやら、麻薬売人やらに精神的に疲れていました。

 

ネパールに入ってみると...!

 

客引きが素直!!追い払うとすぐ引っ込みます。

 

ナニコレ...!インドと大違いじゃん!!ネパール人めっちゃいい人!!

 

とすっかり安心した僕は、ネパールの雄大な自然とゆっくり流れる時間に、心がすっかり癒されていました。

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ポカラの朝焼け 湖とヒマラヤ山脈

居心地が良すぎてネパールには2週間くらい滞在していました。

 

そんなある日、ネパールの首都カトマンズの街をぷらぷら歩いていた時に、あるネパール人のお兄さんに声をかけられました。

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カトマンズのお寺

「ナマステ〜どこから来たの?えっ日本!いいね!

君、今日はラッキーだよ。なんてったって今日は数ヶ月に1回のお祭りなんだよ!お寺で家族のためにお祈りする日なんだ。よかったら案内してあげようか?もちろん僕はガイドとかじゃないからお金はいらないよ!」

 

インドでこんな風に道端で声をかけられても僕はついて行かなかったでしょう。そういうインド人は99%詐欺だから。

 

でも、ここはネパール。僕はこの人を信じたくなっていました。

 

インドでは「人を見たら泥棒と思え」の言葉通りに、全員を疑ってかかっていたので、精神的に疲れていました。心の底では「やっぱり人を信じたい」と思っていたんだと思います。

 

 

「本当にお金いらないの?じゃあお願いしようかな」

 

彼はとても親切に色々なお寺を案内してくれました。

「ここは◯◯神が祀られているお寺なんだ〜ヒンドゥー教はたくさんの神がいるからね〜」

「ネパールのお寺は時計回りに回るんだよ、◯◯って唱えながら回るんだ」

 

ガイドブックには載っていなかったことも詳しく話してくれて、すごくありがたいな〜と思ったのを覚えています。

さらに礼拝に必要なお金や、インドの人が額につける紅もお金出して塗ってくれて、僕がお金を払うよと言うと

「いやいやいいんだ。僕が日本に行った時に同じように案内してくれれば嬉しいよ。」と言ってくれて、いい人すぎる...と感激してしまいました。

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仲良く写真も撮った

 

ネパールは2015年に大地震が起きて、数千人もの人が亡くなりました。観光名所のお寺も崩壊した場所も多く、今も再建中のところがたくさんあります。

 

彼は言いました。「君は兄弟とかはいる?  僕も2人の妹がいて、一人はとても小さいんだ。この前の大地震でネパールはとても貧しくなってしまったんだよ。僕の父も地震で亡くなって、家族は貧しいけど、みんな笑顔で暮らしているよ」

 

この頃にはすっかり彼を信用していて、同情の気持ちでいっぱいでした。

 

色々話している中で彼が一つ教えてくれました。

「ネパールにもインドにもたくさん物乞いがいるだろ?彼らにお金をあげてはいけないよ。それはバッドカルマだからね。お金をあげたらお酒とかタバコに使っちゃうかもしれない。もし何かあげたいなら、食べ物をあげるのがいいよ。それはグッドカルマだからね。

僕にも幼い妹がいるんだけど、もし君がよければあとでミルクとか食べ物を施してもらえるとありがたい。」

 

それまで親切に色々案内してもらって感謝していた僕は、少しならあとで食べ物をあげてもいいかなという気持ちになっていました。

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こんな写真も撮ってくれた

 

街案内も終わり、ではお別れという時に彼が「さっきも言ったけどもしよければ妹のためにミルクを買ってほしい」と言って、食料品店までスタスタ歩き出しました。

 

ついていくと、彼が商品を手に取って選んでいます(笑)

まじか...俺が後で自主的に買って持っていくもんだと思ってた...

 

粉ミルク3つに〜

油の大きいボトル1つ〜

 

それを店主に渡して、僕の方をじっと見てきます。

 

...

 

え、、これ全部俺払うの???

 

急に態度が変わったなと思いながら、500ルピー(約500円)で足りるかなと思って店主にお札を渡すと、

店主が電卓をピッピと押して僕に見せてきた額が...

 

 

5500ルピー(5500円)。

 

 

いや、高すぎだろ!!!!そもそもどうやったらそういう計算になんねん!!!

 

 

僕が高すぎると主張すると、「妹たちのためにお願いだ...この粉ミルクが1ヵ月分なんだ」と言ってくる彼。

 

僕は嘘をついて「ごめん、今は1000ルピーしかもってない。ホテルにほとんど置いてきたんだ」と言うと、

彼の態度が豹変し

「じゃあ日本円でもいい。USドルでもいい。あと5000ルピー払ってくれ!」と言ってきました。

 

その時には僕はすっかり裏切られて悲しい気持ちになっていて、彼の態度の豹変ぶりに半ば唖然としていました。

あんなに優しく案内してくれて礼拝料も払ってくれた人が、いきなり強欲になるなんて...

 

 

絶対にこいつに5500円も払うもんかと思って、

僕は「500ルピー以上は払えない、もちろん君には感謝しているけど、金額の大小は関係ないだろ?」と主張しました。

 

彼はわかったわかったと言って

「じゃあ油はいらない。粉ミルクだけ。3500ルピー。どうだ」

 

いやいやそういう問題じゃないから!!!!

本当に心の底から呆れてしまいました。

 

その後もずーっと500ルピーしか払えないの1点ばりで主張していると、彼も諦めて500ルピー札だけポケットに入れて

「わかった。このお金じゃミルクは買えないけど、君から少しのお金をもらったおかげで、僕の妹たちもハッピーになると思う。」

と言い残して去っていきました。

 

 

裏切られた悲しさから、トボトボとホテルまで歩きながら今起こったことをよく考え直してみると

 

いやお前、物乞いにお金あげるのはダメだって自分で言ってたじゃん!!何お金受け取ってんだよ!(笑)

 

と心の中でツッコミ。

 

 

後々考えると、地震で父が亡くなったとか、幼い妹がいるとかいうのも全部嘘の設定だったのではと思えてきてしまいます

普通に騙されるより、こういう善意を利用しようとしてくるタチの悪い人に騙される方が人間不信になりそうで精神的にダメージは大きかったです。

 

当たり前だけど、どの国にも良い人もいれば悪い人もいるというのを身をもって実感した出来事でした。

 

この人以外はみんなネパール人良い人だったよ...!

 

 

旅は続く...

インドのバラナシで因果応報を実感した

どうも、まおです!

今回は牛のせいで渋滞が起こる街、バラナシでの出来事を書いていきたいと思います!

 

ここバラナシは、聖なる川であるガンジス川のほとりに面し、古くからヒンドゥー教徒にとって聖地とされてきたそうです。

瞑想を終えて、バラナシに列車で移動。

着いてみてびっくり...!

空気汚ない!!

道路はゴミと牛のフンだらけ!!

牛邪魔!!!

 

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牛さん、どいて

↑宿への小道を牛にふさがれて進めません。さあ、あなたならどうやって進む??

 

 

(・・・正解は・・・

 

「右の段差のわずかなスペースにジャンプする」でした!)

 

道路に信号機なんてもちろんないし、牛がいるわ、犬は死んだように道路で転がって寝てるわ、、こんなのでどうやって車が通れるんだ!?...と思うんですけど、

インド人はみんなクラクションをガンガン鳴らしながら器用に道をすり抜けていきます。

こんなカオスがこの人たちにとっては日常なのか...!とカルチャーショックを受けました。。。

 

足元に気をつけて歩いていないと、すぐに牛のフンをフンでしまうので要注意。

(僕は初日に何も考えずに歩いていたら、見事に立派な牛のフンを踏んづけて、すってんころりん。両手もフンで汚れてしまい、意気消沈しました。。)

 

 

夕暮れ頃、ガンジス川のボートツアーに。

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謎に仲良くなったインド人

 

インドでは人が亡くなると、車で運ばれてガンジス川の河原で火葬されます。

遺体は薪でできた担架にくくりつけたまま火葬され、その遺灰はそのままガンジス川に流されます。

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奥で上がる炎が火葬場

バラナシの河原には上流階級用の火葬場と、下流階級用の火葬場の二つがあって、上流階級のところで火葬されるには1万円くらいかかるそうです。

ボートに一緒に乗っていたインド人は「僕の祖父も曽祖父もあそこ(上流階級用の火葬場)で火葬された。僕も死んだらあそこで火葬されたい。」と言っていました。

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一番の賑わいを見せるガート(沐浴広場)

一方では死者の遺体が流れている川で、普通に子供達がはしゃぎながら川遊びしているのを見ると、インドの生と死の近さを感じました。

 

 

翌朝、謎の使命感にかられて早起きしてガンジス川で沐浴をしに行くことに!

 

ガンジス川は世界で5つの指に入るほど汚いことで有名!バラナシ付近の大腸菌濃度は基準の数十倍もあるそうです。。(沐浴した後調べて青冷めた)

遺灰はもちろん、下水が処理不十分なまま流れ込んでるし、人口増加に伴って水質汚染が激しいそうです。

 

僕は中国で生まれ育ったし、胃腸も強いはず!なんとなく俺なら行ける気がする!...ということで

 

いざ沐浴!

 

ガンジス川に向かって最初の1歩を水に入れた時..

 

つるっ

 

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衝撃的ダサい瞬間

はい。滑って派手に入水しました。

いや、底がありえないくらいヌメヌメしてたんですよ。多分なんかゴミとか汚い生活排水とかが川底にこびりついてるんですかね。見事に滑りました。

 

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インド人に助けてもらう

絶対に口とか鼻に水が入らないようにしよう!って思ってたのにこれ入ったよね。。

気を取り直して、沐浴。頭まで3回浸かりました。

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インド人に教わって太陽に向かって(?)祈る

沐浴の後は、日の出と戯れる写真を撮ってもらいました。

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インスタ映え

この後、速攻でホテルに戻ってシャワーで入念に体を洗いました。



沐浴から3日後・・・

 

 

見事に下痢になりました。

 

ネパールの医者に見てもらったら寄生虫だったみたいです。

その後1週間くらい宿のトイレにこもる生活が続きましたとさ。

(今はもう薬も飲んで治ったよ!)

 

観光客は沐浴しない方がいいよ!というのを無視してやった結果、見事に下痢になる。因果応報。

 

これ以上無茶するのはやめようと反省したインドの旅でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Youtube始めました!(日本での滝行の様子も)

なますて!まおです。

 

実は以前からやりたかった、Youtubeを始めました!

まだ、日本出国前の動画1本しかアップロードできてないのですが、

これから旅を追体験できる感じで、各国の動画をあげていきたいと思います。

チャンネル登録してもらえると、今後動画をあげたときにすぐにお知らせできるので、よろしくお願いします^^

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滝行を日本出発前にしてきた

さて、↑の動画の後半にもありましたが、実は日本出発前に滝行をしてきました!

記事に書こう書こうと思っていたのですが、タイミングを逸していました。。

 

時は3月末。場所は、高尾山よりも西の山奥にある、西多摩郡檜原村龍神の滝。東京から車で1時間30分くらいです。

龍神の滝 | 檜原村ホームページ

滝行とは?

滝行とは、滝の中で行う修行のことです。滝の激しい水の流れの中では雑念がなくなり、精神統一しやすいと言われています。

瞑想とかは静かな環境で行うのですが、その正反対ですね。確かに静かな環境の方が逆に雑念とか生まれてしまうので、いいのかもしれません。

 

滝行の作法

滝には通常三回入ります。

  1. 一度目は、まず水に慣れるために入ります。
  2. 二度目は、罪汚れ、重いものを洗い流して清めます。
  3. 三度目は、清められた体にお恵みをいただけるようお願いごとをします。

宮司さんのお話によると、神輿を担ぐカタギではない方々などがケガレを落とすために毎年お神輿の時期の前に来るそうです。

ちなみに今回のお代は、指導料で5000円でした。

 

 

ということで、まずは龍神の滝を祀っている九頭竜神社という所にお参りして、滝に入らせてもらうことを神様に報告。

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九頭竜神

前日に雪が降ったので、滑らないようにゆっくり降りて行きます。

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気をつけてても滑りました。笑

そして滝に入る服装は、ふんどし&ハチマキ。人生初のふんどしです。

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なんか嫌そうな顔をしている

 

ではいざ滝行へ!飛んでくる水しぶきがもうすでに冷たいっ!

1回目は水に慣れるため。滝に一礼をした後、上から下に指で切って気合いをいれます(上の動画参照。)

 

水の勢いが思ってた3倍は激しい!目を開けようとしても水の勢いが強すぎて全く開けられません。

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次の2回目は、ケガレを洗い流すため。1回目は10秒くらいだったのですが、それよりもはるかに長く40秒くらい滝に入ります。

横にいる宮司さんが祝詞を唱え終わるまで滝から出てはいけないので、「まだかな...まだかな...」と思いながらチラチラ横目で宮司さんをチェックしてしまいました(笑)

 

 

3回目は良いお恵みをいただくため。数秒の短いコースと数十秒の長いコースを選んでいいよと言われたので、遠慮せずに短いコースで(笑)

 

3回の滝行が終わってみると、体はガチガチに凍えてて、一緒に参加していた人に写真を頼まれてもカメラを構える手が震えすぎて、ブレブレの写真しか撮れませんでした(笑)

 

着替えたらすぐに近くの温泉に直行!!!冷え切った体を温めます。

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天国

体が芯から冷え切ったせいでしょうか。アツアツの温泉に入っているのに10分以上つかっていないと、体が温まってきませんでした。こんな経験は初めて。


滝行を終えてみて

精神的に集中する余裕もなかった、というのが正直なところです。これはあくまで体験だから仕方ないのかもしれませんね。

ただ、ヴィパッサナー瞑想を終えた今考えてみると、あえて滝というノイズの大きい場所を使うことで精神統一をはかるというのは果たして意味のあることなのかなあと考えてしまいます。

確かに、ノイズとかがあった方が雑念が起こる暇もなくて精神統一しやすいのは間違いありません。パチンコ店とかはわざと大きい音を出すことで、麻痺しちゃって逆に集中しますもんね。

ただ、日常生活で湧いてくるその雑念とどう対峙するかということの方が、瞑想としては本質的に重要なのではないかと僕は思うので、その点で滝行は非日常すぎるかなと。

精神統一した先に何を求めるのかが大事だと思うのですが、あくまで滝行はその精神統一の手段にすぎないのかなと思いました。

(例えばヴィパッサナー瞑想は、呼吸に集中して精神統一した後に、全身の感覚を観察することで諸行無常を実際に自分の体で経験することを目指しています)

 

 

という感じの滝行でした!

都内からも近いし、半日で体験できるので、ご興味持った方はぜひどうぞ!

東京で気軽に滝行をしませんか ! 檜原村-九頭龍の滝 龍神の滝で日帰り滝修行 - 滝行と自然を味わう会

 

ではまた!

 

 

 

 

 

インドで10日間ひたすら瞑想した結果

ナマステ。まおです!

今はネパールのポカラというところで一息つきながらブログ書いてます。ガンジス川に沐浴したせいで、見事にお腹を壊してしまい、2,3日何もできてませんでした...

 

さて、とうとう世界一周のテーマであった修行の1つの、

インドでのヴィパッサナー瞑想を体験してきました!

 

 

 

 

場所は、インドのブッダガヤというブッダが悟りを開いたところ。

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ブッダはこの樹の下で悟りを開いたそう

施設から送られてきたメールを見ると、

10日間の間、1日約10時間くらい瞑想して、さらに他人と話すのも目を合わせるのもメモを書くのも本を読むのもダメという聞くに中々ハードな修行。

ちなみに1日のスケジュールはこんな感じ↓

  • 4:00            起床
  • 4:30~6:30   瞑想
  • 6:30~8:00   朝食&休憩
  • 8:00~11:00    瞑想
  • 11:00~13:00  昼食&休憩
  • 13:00~17:00  瞑想
  • 17:00~18:00  ティータイム
  • 18:00~19:00  瞑想
  • 19:00~20:30  講話
  • 20:30~21:00  瞑想
  • 21:30             消灯

いざ書き出してみると瞑想多すぎ!!

修行中は、さっきの話さないとかに加えて

1. 生き物を殺さない 2. 盗みを働かない 3. 性的行為を行わない 4. 嘘をつかない 5. お酒、麻薬をやらない

という5つの規則を守らなければなりません。刑務所の方がゆるいんじゃないかってくらいですね。

 

10日間の囚人生活 

10日間の瞑想の間は、2人部屋が割り当てられてます。僕の場合は、195cmはあるであろう中年のオランダ人と同部屋でした。

お互いに意思疎通を取ってはいけないので、お風呂にどっちが先に入るんだとか、もう電気消していいのかとかも何となく空気を読むしかありません。まあまあ時間かけて体洗ってお風呂を出た後、彼がパンツ一丁で仏頂面のままベッドに腰掛けているのを見たときは「やば、怒ってんのかな。」とか不安になったりしました(笑)

なんせオランダ人の彼は僕よりはるかに身長高いし、右腕に仏様のタトゥーが大きく入ってるし、黙っているとめちゃ怖いんです。

ただ、10日間も一緒に過ごしているうちにだんだんリズムが分かってきて、なるほど今日は俺が先に風呂入るんだなオーケー、みたいに会話しなくても空気で掴みとれるくらいになりました(笑)

朝は4時ぴったりに、リンリンリン..リンリンリン...!という鈴の音で起こされます。

1回だけ寝坊したことがあって、ハッと起きるともう同部屋のオランダ人は瞑想に行っていていない。

わずかに開いているドアの隙間から見えたのが、無表情で片手に持った鈴を鳴らしながらこっちを見ているインドの老人スタッフ、というのがありました。めっちゃビビった。あれは今思い出すだけでも結構トラウマです。

 

食事はこんな感じの場所で、1日2回朝と昼にインドのベジタリアン料理をいただきます。結構美味しかったです。まあインドなんで毎食カレーですけど(笑)

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みんな黙って黙々食べる

※写真は10日終わってから撮りました。

17時のティータイムは、チャイというインド人大好きな甘くてアツアツなミルクティーと、カレー粉がついたお米を揚げたみたいなスナックが配られてポリポリ食べます。インドのチャイは本当に美味しいので、毎回おかわりしてました。

 

男女は完全に生活スペースが分けられ、10日間が終わるまでお互いの姿が見えないところで行われます。

男性の場合は、合計100人くらい(インド人8割、外国人2割、日本人は僕含め3)がホールに集められて、薄暗い明かりの中で音声(ヒンディー語と英語の交互)による講話を聞きつつ、指示に従って瞑想を行います。

 

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瞑想スペース。本当はもっと暗い。1人1つ座布団もらいます。

ここまで聞いて「そもそもヴィパッサナーってなんかやばそうな名前だし、怪しい宗教とかなんじゃないの?」って思った方も多いと思います。僕もそう思ってたんですけど違いました。僕が覚えてる範囲で以下説明したいと思います。

 

ヴィパッサナー瞑想とは

まず初めに、ヴィパッサナー瞑想何の宗教にも関係ありません。その人がキリスト教イスラム教、ユダヤ教、仏教、どんな宗教を信じていても参加することできます。

ヴィパッサナー瞑想2500年ほど前に、ゴータマシッダールタというインドの王子(後のブッダ)が悟りを開いた時に行った瞑想法です。ブッダが教えたのはあくまでヴィパッサナー瞑想の方法で、仏教を教えたわけではないそうな。

 ヴィパッサナーの意味は「物事をあるがままに見る」という意味だそうです。現実をあるがままに受け入れるようになるために、その人の身体に生まれては消えていく全ての感覚をただじっと観察するというやり方を取ります。

実は、ヴィパッサナー瞑想は、現代の精神医学領域の認知行動療法という治療法の源流になっていて、最近流行りのマインドフルネスとかも関係あります。僕は精神医学に興味があるのですが、そういう意味でも体験したいな〜と思っていました。

 

どうやって瞑想するの?

特に何もしません(笑)

同じ姿勢のまま呼吸を整えて平静心を保ちながら、頭のてっぺんから足の指先までに起こる全ての感覚を感じる。そしてそれに反応したりせず、ただ観察する。これがヴィパッサナー瞑想なんです。

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このおじいさんが英語とヒンディー語で解説してくれる

簡単そうに見えて、やってみるとこれがとても難しかった...まず、全く動かないまま同じ姿勢を保つのがめちゃくちゃシンドイです。15分もすると膝が激しく痛みだします。ただ、この「痛み」も感覚なので、「あ〜右膝に痛みの感覚があるな〜でも僕は観察するだけ。生じたものはいつかは消えるのだから、この痛さも消えるんだろうなあ。(イタスギ。。。)」と謎のドM思考を貫いていくのです。

瞑想中はもちろんずっと瞑想に集中できるわけでもなく、すぐに心がいろんなことを考え出してしまいます。過去に起こった楽しかったことや辛かったこと、将来のワクワクすることや不安なこと、、いろんなことを心が妄想しだしてしまうのですが、これらはほとんど過去か未来のことなんですね。

つまり、今起こっている現在に心が向いてないのです。この現在をありのままに見つめるために、身体に起こっている感覚をフルに感じようというわけですね。

 

ブッダさんの教えによると、

全ての感覚(sensation)は好ましい感覚、もしくは不快な感覚に分けることができます。

好ましい感覚がエスカレートすると渇望(craving)に変わり、さらに強い執着心(Clinging)に変わる

不快という感覚がエスカレートすると断ち切りたいという感情(Abortion)に変わり、さらに強い嫌悪(Hatred)に変わる。さらにこの時にサンカーラという感情の種みたいなものが生まれて、次の感覚と結びついて、より強い執着心や嫌悪を生み出す。これらの執着心や嫌悪の先にあるのは、ただただ惨めな不幸(Misery)だ、と。

 

ではどうすればいいかというと、この感覚執着or嫌悪不幸のループの鎖を断ち切る必要があります。だから、ヴィパッサナー瞑想では、どんな種類の感覚が起こっても何にも反応したりせずにただただ観察するという方法を取ります。

そうやって徐々に執着とか嫌悪を弱くしていって、ハッピーになろうってことらしいです。

 

瞑想中感じたこと、考えたこと 

まず、呼吸に集中することで、意識の奥深くまでたどり着けるようになった(そんな感覚になった)のが驚きでした。

ヴィパッサナー瞑想で大事な概念として、「シーラ」(戒律)「サマディ」(精神統一)「パンニャ」(知恵)という3つの柱があります。ドラクエの呪文かよ)

そしてそれら全てを実際に経験を通して理解できた時に、最終目的である「ダンマ」(宇宙の摂理)を理解できる、と。何だかよく分からないが、深そうなことを言ってるのだけは分かりますね!

その2,3日目にサマディを練習している時のこと。言われた通りに、自然の速度で呼吸をして、鼻の周りの三角形の部分の感覚のみに集中する...というのをやっていたら、「あれ、俺いまものすごい意識の奥底で集中できてる!」という気分になりました

さっきまで感じてた膝の痛みも、もはや感じなくなってるし、心もざわつかない。おおーすげー!って内心ちょっと感動してました。修行が終わった今でも静かな部屋で数分呼吸に集中しているとこの"モード"になることができます(笑)

だけど、僕はこれって催眠術とかも同じ原理なんだろうなって思いました。この瞑想は精神統一するために鼻の三角形の小さい部分の呼吸のみに集中するという方法を取っているけど、催眠術とかも揺れてるコインとかロウソクの炎とかの小さいものに意識を絞っていきます。この何か小さいものに意識を限定することで、より深い奥底の意識に到達できるってのを経験できたのがとても面白かったです。

4日目からは「パンニャ」の練習で、これまで鼻の三角形部分のみの感覚に集中してたのを、頭から足先までの感覚全体に広げていきます。最終的に、わずかな”振動”の感覚が全身を流れているのを感じ取れるようになると良いのですが、これも9日目の夜にめちゃくちゃ集中してたら「全身が振動してる...!」って感じることができました(笑)

まあ、だからと言って特に悟ったりはしてないんですけどね。

 

ちなみになぜ、集中するときに使うのが「呼吸」なんだと思いますか?これは結構面白くて、人間が無意識の時にも意識的にも行っているのが「呼吸」だけだからなんだそうです。寝てる時にも呼吸はしてるし、意識的に呼吸早めたり遅めたりもできる。だから「無意識(意識の奥底)と意識を繋げる橋みたいな役目として呼吸を使っているんだ」と師匠は説いていました。

これには僕もハッとさせられて、「確かに。。少し科学的な部分もあるんだなあ」と感心させられました。

 

空き時間、休憩時間も本読むとか何か書くとかしてはいけないので、やることないからひたすら寝るしかありません。

面白かったのが、10日間の間は毎回寝るたびに、どんなに短い睡眠時間でもほとんど夢を見たんです。起きている時間に妄想とかが制限されているせいで、せめて寝ている間だけでも、みたいな感じで想像力を働かせる力が強くなったんですかね?

あとは、施設は林になってるので動物とか植物がたくさんいるので、みんな暇すぎてボーッと自然観察してました(笑)

 

辛い10日間もついに終わりへ

毎晩、あと何日って指折り数えて数えて...ようやく10日目の朝になりました。

ここからはもう話したり、目線合わせたりしてもいいのです!

すると、もうみんないきなり喋る喋る...瞑想中はみんな下向いて瞑想ホールにトボトボ歩いて行くから「ウォーキングデッドかよ」って突っ込んでましたが、みんな笑顔が弾けて、2,3時間ずっと話していました(笑)

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仲良くなった外国人グループで机を囲む

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近くにいた人たちで集合写真

そして、同じ部屋だったオランダ人のRemcoさんとも仲良くなって、10日間のお礼に、今回の旅行では初めて名前当て字の書道をプレゼントしました。Remco = レムコだし、修行感があるので、練己で!(適当)

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彼が初めて見せた笑顔 喜んでもらえてよかった〜

という感じの修行でした!

日本にも千葉と京都に同じ施設があるみたいなのでぜひ!30分体験?とかもやってるそうです(要確認)

今回の修行は講話があって向こうから色々教えてくれるし、学びもとても得やすかった修行でした。ただ、極めるにはものすごい労力と覚悟がいるだろうし、万人向けではないのかなぁとも思います。ただ神を信じるだけで救われると説く宗教の方が、民衆にとってはお手軽ですもんね。

この瞑想法は続けることに意味があるので、できれば時間を見つけて続けたいと思う一方、早速サボり始めている今日この頃です。。

 

では、また!次は牛が道路の真ん中を歩く街・バラナシです!

maonologue.hatenablog.com

 他の修行の記事はこちら↓

 イスラム教のラマダンを体験しました。

maonologue.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

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