インドで10日間ひたすら瞑想した結果
ナマステ。まおです!
今はネパールのポカラというところで一息つきながらブログ書いてます。ガンジス川に沐浴したせいで、見事にお腹を壊してしまい、2,3日何もできてませんでした...
さて、とうとう世界一周のテーマであった修行の1つの、
インドでのヴィパッサナー瞑想を体験してきました!
場所は、インドのブッダガヤというブッダが悟りを開いたところ。
施設から送られてきたメールを見ると、
10日間の間、1日約10時間くらい瞑想して、さらに他人と話すのも目を合わせるのもメモを書くのも本を読むのもダメという聞くに中々ハードな修行。
ちなみに1日のスケジュールはこんな感じ↓
- 4:00 起床
- 4:30~6:30 瞑想
- 6:30~8:00 朝食&休憩
- 8:00~11:00 瞑想
- 11:00~13:00 昼食&休憩
- 13:00~17:00 瞑想
- 17:00~18:00 ティータイム
- 18:00~19:00 瞑想
- 19:00~20:30 講話
- 20:30~21:00 瞑想
- 21:30 消灯
いざ書き出してみると瞑想多すぎ!!
修行中は、さっきの話さないとかに加えて
1. 生き物を殺さない 2. 盗みを働かない 3. 性的行為を行わない 4. 嘘をつかない 5. お酒、麻薬をやらない
という5つの規則を守らなければなりません。刑務所の方がゆるいんじゃないかってくらいですね。
10日間の囚人生活
10日間の瞑想の間は、2人部屋が割り当てられてます。僕の場合は、195cmはあるであろう中年のオランダ人と同部屋でした。
お互いに意思疎通を取ってはいけないので、お風呂にどっちが先に入るんだとか、もう電気消していいのかとかも何となく空気を読むしかありません。まあまあ時間かけて体洗ってお風呂を出た後、彼がパンツ一丁で仏頂面のままベッドに腰掛けているのを見たときは「やば、怒ってんのかな。」とか不安になったりしました(笑)
なんせオランダ人の彼は僕よりはるかに身長高いし、右腕に仏様のタトゥーが大きく入ってるし、黙っているとめちゃ怖いんです。
ただ、10日間も一緒に過ごしているうちにだんだんリズムが分かってきて、なるほど今日は俺が先に風呂入るんだなオーケー、みたいに会話しなくても空気で掴みとれるくらいになりました(笑)
朝は4時ぴったりに、リンリンリン..リンリンリン...!という鈴の音で起こされます。
1回だけ寝坊したことがあって、ハッと起きるともう同部屋のオランダ人は瞑想に行っていていない。
わずかに開いているドアの隙間から見えたのが、無表情で片手に持った鈴を鳴らしながらこっちを見ているインドの老人スタッフ、というのがありました。めっちゃビビった。あれは今思い出すだけでも結構トラウマです。
食事はこんな感じの場所で、1日2回朝と昼にインドのベジタリアン料理をいただきます。結構美味しかったです。まあインドなんで毎食カレーですけど(笑)
※写真は10日終わってから撮りました。
17時のティータイムは、チャイというインド人大好きな甘くてアツアツなミルクティーと、カレー粉がついたお米を揚げたみたいなスナックが配られてポリポリ食べます。インドのチャイは本当に美味しいので、毎回おかわりしてました。
男女は完全に生活スペースが分けられ、10日間が終わるまでお互いの姿が見えないところで行われます。
男性の場合は、合計100人くらい(インド人8割、外国人2割、日本人は僕含め3人)がホールに集められて、薄暗い明かりの中で音声(ヒンディー語と英語の交互)による講話を聞きつつ、指示に従って瞑想を行います。
ここまで聞いて「そもそもヴィパッサナーってなんかやばそうな名前だし、怪しい宗教とかなんじゃないの?」って思った方も多いと思います。僕もそう思ってたんですけど違いました。僕が覚えてる範囲で以下説明したいと思います。
ヴィパッサナー瞑想とは
まず初めに、ヴィパッサナー瞑想は何の宗教にも関係ありません。その人がキリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、どんな宗教を信じていても参加することできます。
ヴィパッサナー瞑想は2500年ほど前に、ゴータマシッダールタというインドの王子(後のブッダ)が悟りを開いた時に行った瞑想法です。ブッダが教えたのはあくまでヴィパッサナー瞑想の方法で、仏教を教えたわけではないそうな。
ヴィパッサナーの意味は「物事をあるがままに見る」という意味だそうです。現実をあるがままに受け入れるようになるために、その人の身体に生まれては消えていく全ての感覚をただじっと観察するというやり方を取ります。
実は、ヴィパッサナー瞑想は、現代の精神医学領域の認知行動療法という治療法の源流になっていて、最近流行りのマインドフルネスとかも関係あります。僕は精神医学に興味があるのですが、そういう意味でも体験したいな〜と思っていました。
どうやって瞑想するの?
特に何もしません(笑)
同じ姿勢のまま呼吸を整えて平静心を保ちながら、頭のてっぺんから足の指先までに起こる全ての感覚を感じる。そしてそれに反応したりせず、ただ観察する。これがヴィパッサナー瞑想なんです。
簡単そうに見えて、やってみるとこれがとても難しかった...まず、全く動かないまま同じ姿勢を保つのがめちゃくちゃシンドイです。15分もすると膝が激しく痛みだします。ただ、この「痛み」も感覚なので、「あ〜右膝に痛みの感覚があるな〜でも僕は観察するだけ。生じたものはいつかは消えるのだから、この痛さも消えるんだろうなあ。(イタスギ。。。)」と謎のドM思考を貫いていくのです。
瞑想中はもちろんずっと瞑想に集中できるわけでもなく、すぐに心がいろんなことを考え出してしまいます。過去に起こった楽しかったことや辛かったこと、将来のワクワクすることや不安なこと、、いろんなことを心が妄想しだしてしまうのですが、これらはほとんど過去か未来のことなんですね。
つまり、今起こっている現在に心が向いてないのです。この現在をありのままに見つめるために、身体に起こっている感覚をフルに感じようというわけですね。
ブッダさんの教えによると、
全ての感覚(sensation)は好ましい感覚、もしくは不快な感覚に分けることができます。
好ましい感覚がエスカレートすると渇望(craving)に変わり、さらに強い執着心(Clinging)に変わる。
不快という感覚がエスカレートすると断ち切りたいという感情(Abortion)に変わり、さらに強い嫌悪(Hatred)に変わる。さらにこの時にサンカーラという感情の種みたいなものが生まれて、次の感覚と結びついて、より強い執着心や嫌悪を生み出す。これらの執着心や嫌悪の先にあるのは、ただただ惨めな不幸(Misery)だ、と。
ではどうすればいいかというと、この感覚→執着or嫌悪→不幸のループの鎖を断ち切る必要があります。だから、ヴィパッサナー瞑想では、どんな種類の感覚が起こっても何にも反応したりせずにただただ観察するという方法を取ります。
そうやって徐々に執着とか嫌悪を弱くしていって、ハッピーになろうってことらしいです。
瞑想中感じたこと、考えたこと
まず、呼吸に集中することで、意識の奥深くまでたどり着けるようになった(そんな感覚になった)のが驚きでした。
ヴィパッサナー瞑想で大事な概念として、「シーラ」(戒律)「サマディ」(精神統一)「パンニャ」(知恵)という3つの柱があります。(ドラクエの呪文かよ)
そしてそれら全てを実際に経験を通して理解できた時に、最終目的である「ダンマ」(宇宙の摂理)を理解できる、と。何だかよく分からないが、深そうなことを言ってるのだけは分かりますね!
その2,3日目にサマディを練習している時のこと。言われた通りに、自然の速度で呼吸をして、鼻の周りの三角形の部分の感覚のみに集中する...というのをやっていたら、「あれ、俺いまものすごい意識の奥底で集中できてる!」という気分になりました。
さっきまで感じてた膝の痛みも、もはや感じなくなってるし、心もざわつかない。おおーすげー!って内心ちょっと感動してました。修行が終わった今でも静かな部屋で数分呼吸に集中しているとこの"モード"になることができます(笑)
だけど、僕はこれって催眠術とかも同じ原理なんだろうなって思いました。この瞑想は精神統一するために鼻の三角形の小さい部分の呼吸のみに集中するという方法を取っているけど、催眠術とかも揺れてるコインとかロウソクの炎とかの小さいものに意識を絞っていきます。この何か小さいものに意識を限定することで、より深い奥底の意識に到達できるってのを経験できたのがとても面白かったです。
4日目からは「パンニャ」の練習で、これまで鼻の三角形部分のみの感覚に集中してたのを、頭から足先までの感覚全体に広げていきます。最終的に、わずかな”振動”の感覚が全身を流れているのを感じ取れるようになると良いのですが、これも9日目の夜にめちゃくちゃ集中してたら「全身が振動してる...!」って感じることができました(笑)
まあ、だからと言って特に悟ったりはしてないんですけどね。
ちなみになぜ、集中するときに使うのが「呼吸」なんだと思いますか?これは結構面白くて、人間が無意識の時にも意識的にも行っているのが「呼吸」だけだからなんだそうです。寝てる時にも呼吸はしてるし、意識的に呼吸早めたり遅めたりもできる。だから「無意識(意識の奥底)と意識を繋げる橋みたいな役目として呼吸を使っているんだ」と師匠は説いていました。
これには僕もハッとさせられて、「確かに。。少し科学的な部分もあるんだなあ」と感心させられました。
空き時間、休憩時間も本読むとか何か書くとかしてはいけないので、やることないからひたすら寝るしかありません。
面白かったのが、10日間の間は毎回寝るたびに、どんなに短い睡眠時間でもほとんど夢を見たんです。起きている時間に妄想とかが制限されているせいで、せめて寝ている間だけでも、みたいな感じで想像力を働かせる力が強くなったんですかね?
あとは、施設は林になってるので動物とか植物がたくさんいるので、みんな暇すぎてボーッと自然観察してました(笑)
辛い10日間もついに終わりへ
毎晩、あと何日って指折り数えて数えて...ようやく10日目の朝になりました。
ここからはもう話したり、目線合わせたりしてもいいのです!
すると、もうみんないきなり喋る喋る...瞑想中はみんな下向いて瞑想ホールにトボトボ歩いて行くから「ウォーキングデッドかよ」って突っ込んでましたが、みんな笑顔が弾けて、2,3時間ずっと話していました(笑)
そして、同じ部屋だったオランダ人のRemcoさんとも仲良くなって、10日間のお礼に、今回の旅行では初めて名前当て字の書道をプレゼントしました。Remco = レムコだし、修行感があるので、練己で!(適当)
という感じの修行でした!
日本にも千葉と京都に同じ施設があるみたいなのでぜひ!30分体験?とかもやってるそうです(要確認)
今回の修行は講話があって向こうから色々教えてくれるし、学びもとても得やすかった修行でした。ただ、極めるにはものすごい労力と覚悟がいるだろうし、万人向けではないのかなぁとも思います。ただ神を信じるだけで救われると説く宗教の方が、民衆にとってはお手軽ですもんね。
この瞑想法は続けることに意味があるので、できれば時間を見つけて続けたいと思う一方、早速サボり始めている今日この頃です。。
では、また!次は牛が道路の真ん中を歩く街・バラナシです!
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