歩くのは一人。でも一人じゃないよ
カミーノデサンチアゴ。世界中から集まった巡礼者が、スペインのサンチアゴデコンポステーラ大聖堂を目指し何日もかけて歩く、長い長い旅。
基本的に巡礼者は1人の人が大半だ。全行程を歩こうとすると1ヶ月以上かかるこの巡礼に、友達などとタイミングを合わせて歩くのは大変だからだろう。
それでも同じ道を歩いていると、同じ巡礼をしている境遇が似た者同士、すぐに仲良くなる。
僕もカミーノで運命的な出会いをした。
歩き始めて3日目。
大きなバックパックを背中に、小さいリュックをお腹に、2つ背負って歩いている20代くらいの韓国人ぽい男性を発見。
僕以外に背中とお腹に2つ背負って巡礼している人を見るのは初めてだったので、「この人も世界一周中!?」とテンションが上がり声をかけてみた。
彼の名前はジェイ。
予想通り、彼も世界一周中で、これまでにロシアやヨーロッパを旅してきたらしい。今28才でなんと3年前にもカミーノを歩いたことがあるらしく、今回が2回目の巡礼だそうだ。
そしてさらに...
彼が世界一周を始めたのは僕と同じく4月11日だということが判明!!
まさかの偶然の出会いにすぐに意気投合。
ジェイと一緒だった韓国人の女の子メイと3人で一緒に歩いていくことになった。
一人でいるときは、全部外食だったんだけど、ジェイやメイといる時は彼らご飯を作ってくれるので、いつもご馳走になっていた(笑)
料理素人の僕はいつも皿を洗う係...(笑)
この二人に限らず、韓国人は料理好き?みたいで皆手の込んだ料理を自炊していて、感心するばかり。僕も日本食の一つくらい作れるようにならなきゃ...
基本的にアジアから巡礼に来ている人は、8割韓国人、1割台湾人、1割日本人という感じの割合で、韓国の人と友達になる機会が多かった。
仲良くなった韓国の人は、なぜか皆日本に旅行に来たことがある人ばかりで「日本大好き」と言ってくれる人ばかり。
歩きながら彼らと話していて、日韓の関係とかの話題になることも多かったけど、反日!みたいな偏見を持ってる人は誰もいなかった。
思うんだけど、そういう偏見を持ってる人ってたぶん相手国に友達とかいないよね。韓国に限らず、中国でもその国の人と一人でも知り合ってみて仲良くなれば、偏見も変わると思うんだけどな。
もちろん日本人にもたくさん出会った。
巡礼初日に偶然同じ宿だったユミさん。長年夢だった巡礼をするために看護師の仕事を一旦ストップして来たそう。
同い年の大学生で、卒論のテーマに巡礼を歩いているさとみさん。大学のために途中で彼女が帰国しないといけなくなって、最後会うために1日で50km歩いたのもいい思い出。
おばあちゃんとの出会い
このおばあちゃんはウルグアイ出身のマグダレイナさん。
もう70才は超えてるのに元気なこのおばあちゃん、只者じゃない。
実はウルグアイで有名な絵本作者で、これが巡礼4回目。カミーノの経験を本にして出版もしたそう。
彼女からは色々なことを教わった。
道端に生えているどのイチジクが美味しいか教えてくれて、食べさせてくれたり。
どこの景色が綺麗とか、どういう心構えでカミーノを歩くといいかなども。
彼女は毎日瞑想をするそうで、カミーノを歩くのも瞑想の一部だと言っていた。
とても印象的だったのが、道端にあったブドウ畑を指差してBeautiful! と何度も言っていたこと。
その時僕にはただのいつも通りの風景の一部に見えていたんだけど、彼女は常に新鮮な目でもって風景を捉えていたから、そういう風に毎回感動することができていたのだと思う。
同じものを見ていてもそれに本当に"気づく"ことができているのか。
旅を長く続けていると、徐々に見知らぬ風景にも慣れていって感動が日に日に薄れていってしまう。マグダレイナおばあちゃんのように常に心をフレッシュに、感動をキャッチできるようになりたいなと思った。
そして彼女に何となく質問をしてみた。
「何の宗教を信じているの?」
彼女から返ってきた答えに僕は驚かされた。
"My religion is... LOVE!"
そう。イスラエルで出会ったイブラヒムおじさんと全く同じ答えを返してきたのだ。
「私はクリスチャンだったけど、数年前にやめたの。私はあの人がキリスト教で、あの人はイスラム教、ユダヤ教...みたいに分けるのが嫌いなの。キリスト教もイスラム教も仏教も全部同じだと思ってる。私の宗教は”Love”よ。」
本当に彼女と一緒に歩いていると、70を超えたおばあちゃんなのにこちらの方が元気をもらうくらいハッピーになっちゃうし、別れ際もギュっとハグをしてくれてLoveがひしひしと伝わってきた。
言葉で世界平和とか言うのは簡単だけど、イブラヒムおじさんにしろマグダレイナおばあちゃんにしろ、その全身であふれるほど愛を発散しているような人に触れると「ああ、これが愛だな、平和だな」と感じた。
宗教にはいろんな問題があって、学ばないといけないことも多いけど、そういうのを超越するようなこの人たちの個人としての態度、生き方は単純にカッコいいし、これこそが本質のような気がした。