【まるで家畜扱い...】パレスチナ自治区に行ってきた
こんにちは。まおです。
前回はエルサレムを観光しましたが、ここは実質イスラエルが支配している場所なので兵士や警察もたくさんいて安全でした。
どうしても見たかったのは、イスラエルとパレスチナを分断する壁。
その壁のパレスチナ側には平和を願う数々のアーティストによるグラフィティが描かれているそうで、世界的に有名な匿名アーティスト・バンクシーの作品もあるそうです。
パレスチナ自治区とは
自治区とあるようにパレスチナは正式には国ではありません。なので軍隊もなく、自国通貨もないので、イスラエルと同じシェケルというお金を使っています。
パレスチナ自治区と行っても、ガザ地区とヨルダン川西岸地区に分けられていて、観光客である僕でも行けるのはヨルダン川西岸地区だけ。(それでも少し危険ですが)
ガザ地区は、世界最大の監獄とか天井のない監獄と呼ばれていて、反乱デモやイスラエル軍による攻撃が今でも続いており、死傷者も何万人も出ているかなり危険な場所です。
ベツレヘムへ
エルサレムからバスに乗って1時間。ベツレヘムというイエスが生まれたとされる街にやってきました。
丘の上にたくさん集合住宅を建てられていて、ユダヤ人の入植者数を増やそうとしているのが分かる。
分離壁のアート
しばらく道を歩いていると、こんな絵を普通の道の壁に見つけました。
なんだか悲しくなる。。
そして、あのバンクシーの絵も!
これはガソリンスタンドの壁の裏側にありました。
なぜだかよく分かりませんが、そこで働いてたパレスチナ人の兄ちゃんたちと仲良くなって、洗車体験をさせてもらいました(笑)
そして分離壁の方へ歩いていくと
これもバンクシーのグラフィティだそうです。
そして分離壁へ。
左に監視塔が見えます。(今は使われていなさそうだけど)
アパルトヘイト撤廃に尽力したマンデラ大統領が言うように、パレスチナの人たちの自由がない限り、人類の自由は達成されないでしょう。
壁をずっと見ていたら情報量の多さというか、人々の無念さ、平和を願う心の重量感に押しつぶされそうになりました。
バンクシーミュージアム
バンクシーミュージアムという所にも行ったのですが、そこの展示が残酷でした。
パレスチナの人たちは全員この緑色のIDカードを携帯することを義務付けられているらしい。これってアパルトヘイトの時にも同じようなのを見た気が・・・
これは2014年の7,8月に起きたガザでの戦闘で、パレスチナ側は2202人が亡くなって、軍備的に圧倒的なイスラエル側は73人が亡くなったというもの。
人の命は計れない比べられないとは思いますが、これを見るとイスラエルの不条理さにやる瀬無くなった。
帰りのバスで検問。まるで家畜のような扱い
ベツレヘムでの観光を終え、そのあとラマラという街に寄った後、エルサレムに帰るバスの途中。
行きのバスでは何もなくダイレクトに来れたのに、帰りのバスでは途中で降りてバスを乗り換えるように言われた。
何かと思ったら検問。
そう、パレスチナ側からイスラエル側に来る人だけ検問でチェックしているそうなのです。
この空港のセキュリティチェックより厳しそうな鉄格子に囲まれた所で順番待ち。
奥にいるイスラエルの職員がボタンを押すと、この鉄製の回転ドアが動いて奥に進める仕組み。
一人一人パレスチナの人は、荷物をX線機器に通して、IDカードを職員に見せている。
10分くらい待ってようやく僕の番。僕は顔つきでアジア人だからかパスポートを見せると何の質問もなく無言でボタンを押して、ドアが開き通してもらえた。
正直言ってめちゃくちゃムカついた。イスラエルの職員のボタン一つで、「通ってよし」「まだ通るな」と決められて、「俺は家畜じゃないんだぞ!」と叫びたくなった。
列を待ってる人のなかで僕以外は全員おそらくパレスチナ人でしたが、買い物に行く途中のお母さんとか、仕事に行く途中の人みたいな人もいました。
ただ隣町に行きたいだけの人もいるでしょう。
僕と違って、こういう検問を毎日のようにやらされているのが、今のパレスチナの人の現実でした。
もちろんイスラエル側からすれば治安、テロ対策のためという言い分はあると思います。それでも、それを押し付けられているほとんどの善良なパレスチナの人たちの気持ちを考えると、無力感が募りました。
次回はパレスチナ難民キャンプに行ってきた時のことを書きたいと思います。