巡礼始まりの街・サンジャンピエドポーそしてピレネー山脈越え
こんにちは、まおです。
今回はいよいよ巡礼スタート、初日の様子を書いていこうと思います。
9月3日、パリから電車でサンジャンピエドポーという町に向かいました。
この町は、人口1500人くらいの小さい町ですが、「フランス人の道」という巡礼でも最も人気の道のスタート地点なので町は巡礼者で賑わっています。
まずは、巡礼事務所で手続き。
ここで、巡礼証明書をもらい、そして巡礼者の印であるホタテの貝殻を受け取りました!
巡礼ボランティアの方からのアドバイス
「自分のペースでゆっくり歩いてね。カミノデサンティアゴは、競争じゃないからね。ルールはただ一つ。毎日、少しずつ歩いて違う宿に泊まってスタンプをもらうだけ。もし気に入った町があれば、その町の別の宿に泊まれば2泊することもできるからね。」
明日から始まる巡礼にワクワク。
巡礼者は、ヨーロッパ系5割、アメリカ・カナダ2割、南米1割、韓国2割という感じ。
アジア人ぽい人は、ほとんど韓国人、または台湾人で、日本人はほとんど見当たらなかった。韓国はクリスチャンの人も多く、カミノデサンティアゴが国内で有名なんだとか。
これが宿の様子。一泊10ユーロ。毛布とかはついていないので、持参した寝袋を使って寝ます。
巡礼中はだいたい皆5~7時には起きて歩き始めるので、22時には消灯されます。とても健康的な生活。笑
巡礼初日
1日目はピレネー山脈というフランスというスペインの国境に横たわる山越えの日。高低差1200m, 距離28kmで、なんと初日にして最も過酷だと言われているらしい(泣)
朝は5時30分には起きて支度。いよいよ出発!
僕みたいに荷物を前と後ろに背負っているアホなんて見当たらなくて、まわりの巡礼者の荷物の平均重量は8kgくらいだった。(僕のは17kg)
最初のうちは意外と順調だった。世界一周中もこの荷物担いで移動してるからねなんて思ってたけど、それも道が平坦な時だけ。
道が徐々に急になってきて、足取りが重くなってきた。
さらにスペインの強い日差しが容赦なく照らしてきて、汗もびっしょりになってきた。朝は長袖じゃないと寒いくらいだったのに。
世界一周中で重い荷物を持ってる僕は、すぐ疲れてしまって何回も休憩してしまう。何人も歩くのが速い人たちに追い抜かされるけど、自分のペースを守るのが大事なのでゆっくり。
ピレネーの険しい登り道をなんとか登り切ると、素晴らしい景色が広がっていた。
馬、羊の牧畜が行われていて、とてもピースフルな風景。
綺麗な景色のところだと足も自然と軽くなる。
結局朝6時30分に出発して、13時30分頃に今日泊まる宿に到着した。
合計7時間。27km。早速足の裏にマメができた。
この巡礼で何個できるのかな。笑
夜ご飯は10ユーロの巡礼者用のボリュームたっぷりご飯。
初日は道も過酷だったし全てが新鮮だったから、あまり自分のこととかを考える余裕はなかった。
夜はみんな疲れているからか、いびきの大合唱が始まったので耳栓をしてなんとか23時に寝ましたとさ。
聖地へ続く800kmのスペイン巡礼道を1ヶ月間歩いてきた
こんにちは。更新が遅れてしまってすみません。マオです。
実はこの1ヶ月間、最後の修行となるスペインでの巡礼をしていました。
数回に分けて記事を書いて行こうと思います。
カミノデサンティアゴとは?
カミノデサンティアゴ(Camino de Santiago)のカミノとはスペイン語で「道」、サンティアゴは、イエスの弟子のヤコブのこと。
この写真のサンティアゴデコンポステーラの教会に聖ヤコブの遺骸が眠ると言われており、古くからクリスチャンがこの教会を目指して歩いた巡礼路のことをカミノデサンティアゴと言うのです。
巡礼路はどこ?
目指す場所は一つでも、巡礼路はたくさんあります。
一番有名なのは、僕も歩いた「フランス人の道」。フランスとスペインの国境の町から800km近くを歩くルートです。他にも「ポルトガルの道」「北の道」「銀の道」など複数あり、中にははるばる自国の自宅からスタートする人もいるそうです。
巡礼の宿は?具体的に巡礼って何するの?
巡礼路上の各町には「アルベルゲ」と呼ばれる巡礼者のための宿があって、一泊5~10ユーロくらいで巡礼者は泊まれます。
巡礼者には巡礼者の証明書となる「クレデンシャル」が配られて、これに宿に着くごとにスタンプを押してもらって自分だけのクレデンシャルを作っていきます。
だいたいの巡礼者は宿を朝早くに出発して、20~30kmくらい歩き、お昼過ぎに次の町の宿にチェックインしてゆっくりするというのが基本のスタイル。
巡礼者は、伝統的に腰やバッグにこのホタテの貝殻をつけて歩くのが巡礼者の印となります。
次回は、巡礼の始まりの町・サンジャンピエドポー、そして初日して最大の難関・ピレネー山脈越えのことを書こうと思います。
ではまた!
【無国籍】愛すべき平和活動家イブラヒムじいさんに会ってきた
こんにちは。
今回でイスラエルで誰かの家に泊まってきたシリーズは最後。
前回記事
今回は可愛いじいさんに会ってきた話です!
イブラヒムじいさんに会ってきた
ある日、エルサレムの中心部にある屋台で食べ物を注文しようと列に並んでいた時のこと。
70歳くらいのアラブ人のじいさんに声をかけられました。
「日本人か?わしのことを知っとるか?わしの名前はイブラヒム。日本人の中ではなぜか有名なんじゃぞ」
顔を見てみると、なんだか見たことがある気がする...と思い出してみると、イスラエルの旅人の間では有名なあのイブラヒムじいさんではないか!
そう。この人、ただのおじいちゃんじゃないんです。
パレスチナ問題の平和活動家として長年に渡って活動を続けてきて、なんとアメリカのホワイトハウスに呼ばれたり、偉い人が集まる国際会議に呼ばれたり、とものすごい人らしいのです!
イブラヒムじいさんは、エルサレムにあるピースハウスという宿(というか自分の家)を35年以上もオープンしていて、ここを拠点に様々な平和活動が行ってきたそうです。完全寄付制で誰でも泊まることができるので昔から旅人の間で人気となっていました。
↑ピースハウスの存続協力を訴えるホームページ
しかし、イスラエル政府はパレスチナ人に建設の許可を与えていないため、数年前に彼のピースハウスも撤去を命じられたそう。しかし、ピースハウスの存続を求める人たちの賛同と協力によって、多大なお金を罰金として払って今はなんとか存続できている状態。
というような厳しい状況で、さらにネットの噂ではイブラヒムじいさんも高齢なのであまり宿にいないという情報があったりして、僕は泊まるのを諦めていました。
そんなところに偶然エルサレム市内でばったり本人に会えるという奇跡!
「ウェルカム!ウェルカム!ユーアーマイファミリー!」
と言って、宿に招待してくれるじいさん。
これも運命だと思って、急いでその日泊まる予定だったホテルをキャンセルし、ピースハウスに行ってきました。
ピースハウスへ
エルサレム旧市街からバスで10分ほどのオリーブの丘の上にピースハウスはありました。ちなみにオリーブの木は平和の象徴だそう。
着くとすぐに「ウェルカム!ウェルカム!ユーアーウェルカム!」とめっちゃウェルカムを連呼するイブラヒムじいさん。
そして
「腹減ってるだろ、イート!イート!」と言って、色々用意してくれました。
そう、このじいさんの口癖は
「ウェルカム!」
「イート!!オール!モア!」
そしてどこで覚えたのか
「ゴハン、アリガトー!」
泊まっている時はひたすらこのイート口撃を受けました(笑)
泊まっている人が美味しそうにご飯を食べるのを見るのがじいさんの喜びだそうです。
本当にこうやって無償の愛を受けるのはとても嬉しくなったし、すぐにじいさんの人柄が大好きになりました。
そしていつの間にか寝ているイブラヒムじいさん。。
このじいさん、かわいい。。
イブラヒムじいさんてどんな人?
イブラヒムじいさんはパスポートを持っていません。要注意人物なのでイスラエル政府から発給されていないそうです。それでも彼はトラベルドキュメントというものを与えられていて、それで各国に行けるそうです。
「アメリカ政府から市民権あげるよって言われたけど、断ってやったよ!わしはどこの国民でもない無国籍なのがいいんじゃ!わはは!」
とじいさんは笑っていました(笑)
なんだか詳しくは知らないけどすごいイブラヒムじいさん。若い頃は何していたの?と聞いて見ると驚きの答えが返ってきました。
「若い頃は世界中を旅してたよ。それも一切ホテルに泊まらないでな。
手紙を毎月1000枚も書いて、友達に送ってた。そうやって泊めてくれる人を探して旅してまわったんだ。だから、わしは生涯、酒とタバコをやったことがない。そのお金を全部ハガキ代に使っちゃったからな、ガハハ」
そんなに努力して旅してたのか。。それもインターネットのない時代だからって手紙を千枚も?すごすぎる。
イブラヒムじいさんはそんなに多くを語ってはくれませんでしたが、そういう若い頃の旅の経験でおそらくたくさんの人から優しさをもらったんでしょう。
だから、今こんなにみんなに無償の優しさを与えるような人になったんじゃないかな〜と思いました。
All is One
そんなイブラヒムじいさんに宗教の質問をしてみました。
「イブラヒムじいさんはムスリムなの?なんの宗教を信じているの?」
するとこうじいさんは答えました。
「わしは確かにムスリムだが、わしの宗教は"All is one"(みんなは一つ)じゃ。ムスリムとかクリスチャンとかユダヤ教徒もみんな一つじゃ」
これを聞いたとき僕はハッとしました。
「この人はムスリムだからこう」「この人はクリスチャンだからこう」「この人はユダヤ教徒だからこう」
と今まで勝手に自分の中で区別してステレオタイプを持っていたことに気づかされたのです。
その人が何の宗教を信じていようと、人間はみな同じ。
そんなことをイブラヒムじいさんの姿勢、言葉から教わったような気がしました。
イスラエル人の家に泊まってパレスチナをどう思ってるのか聞いてきた
こんにちは、まおです。
前回はパレスチナ人の家に泊まって、パレスチナの信じがたい現状を直接聞いてきました。
今回はそれを踏まえた上で、エルサレムに住むイスラエル人の家に泊まって、色々聞きたいことを聞いてきました。
イスラエル人の家へ
今回泊まらせてくれたのはEmanuel Vizenくん。
彼は僕と同じ23歳で、アートを勉強している大学生。今度彫刻を勉強するためにイタリアに留学するらしい。彼の部屋には、彼が描いた絵や彫刻がたくさん並んでいる。
彼の部屋には合計で3泊もさせてもらって、ゆっくり過ごしながらいろんな話をした。
彼はいろんなことを知っていて、イスラエルでの生活、ユダヤ人のことなどを教えてもらい、彼自身も色々日本のことを聞いてくれた。
イスラエル人はみんな英語が上手で、彼も英語が流暢。
彼が作ったご飯を食べながら、彼が好きな「Rick and Morty」という有名なアメリカのコメディを一緒に見てた(見させられた)んだけど、正直英語が難しすぎて話の半分も分からなかった(笑)
彼が笑うタイミングに合わせて、調子よく笑うという技術を身につけなんとかやり過ごしてた(笑)
彼とは一緒にご飯を食べに行ったり
夜はビールを一杯だけ飲みに行ったり
街も丁寧に案内してくれて、本当に良くしてくれるいい人だった。
彼のおかげで、最近のイスラエルの若者の生活が体感できてとても面白かった。
ユダヤ教は信じていない?
Emanuelくん自身のことに話を戻すと、高校を卒業した後、イスラエル軍に1年半従事。ガザ地区のすぐ近くにも行ったことがあるそう。
イスラエルは徴兵制で、18才~22才の時に必ず、男性も女性もイスラエル軍に入らないといけないのです。女性も徴兵制がある国はイスラエルくらいじゃないかな。
街中でも、オフの女性兵士がマシンガンを持ちながら歩いているので、ちょっとびっくりする。
あらかじめEmanuelくんの立場を説明しておくと、どちらかというと右寄り。(Conservative保守的と彼は言っていた)
そして、彼はユダヤ教は信じていない。正確に言うと、おそらく世俗派と呼ばれるグループで、ユダヤ教の律法とかには全く従わない人たちのこと。僕はイスラエル人はほとんど全員ユダヤ教を信じていると思っていたので驚いた。調べてみると、ユダヤ教を信じているとされている人の中でも、全く律法に従わない世俗派の人は43%もいるらしい。
まずパレスチナの現状を知ってる?
以下、僕が彼に色々聞いてみたことを書いていきますが、
正直、イスラエル人にパレスチナのことを当事者でもない僕が聞くのは憚られる気持ちもあったので、突っ込めない部分もあったけど許して下さい。
僕はまず彼に、僕が会ったパレスチナ人の話をした。パレスチナの人は隣町に行くのですら検問を通らないといけないこと。IDを発給されないから外国に行けないパレスチナ人がいること。
すると彼はこう答えた。
「イスラエルの人は多くの人が、政府がパレスチナに対して何をしているか知っている。彼らの軍隊が圧倒的にパレスチナの軍力を上回っていることも。
それでも、例えば検問をやめるっていうのは、テロの危険性が増すから難しい。」
そう、やっぱりイスラエルの人にとってはテロが怖いんだって。
彼は「検問を作ってからは、エルサレムで起きるテロの件数も減ったから、検問をなくすことはできない」と言っていた。
パレスチナの人の話を聞いた僕からすれば、人権侵害だ!と怒る気持ちになっていたけど、実際問題、僕がもしエルサレムに住むイスラエル人だったら自分や家族の命が大事に決まっているんだからテロを起こす可能性のあるパレスチナに検問を作って当然だ、という考えになると思う。
パレスチナ占領について
そして彼にまた別の質問をしてみた。
イスラエル政府がパレスチナの土地に、ユダヤ人用の集合住宅を建設して海外からユダヤ人を呼び込んでユダヤ人口を増やそうとしてるって聞いたけど、ほんと?
彼はこう答えてくれた。
「今の政府がそうしているのは本当だと思う。イスラエル国内にもパレスチナ占領をストップするべきなんじゃないかという左寄りの意見も多いんだけど、現在の政府は右寄り。今のイスラエル政府の問題。」
なるほど。もちろんイスラエル人の中でも、これ以上パレスチナを占領しようとする動きに反対している人たちもいるんだね。それでも選挙で勝ったのが右寄りの政党だから、強行的な姿勢なのか。
ネットで調べてみるとこんな画像も出てきました。
イスラエルの中でも、パレスチナへの姿勢がやり過ぎ、人種差別的だと思っている人たちもたくさんいるそうです。
Emanuelくんも言っていました。「もちろんアラブ人とは良くしたいけど、テロの危険も減らさないといけない。そのバランスが難しい。」
ユダヤの文化が優れている...?
というように彼は彼なりにおそらく中立な立場で彼の考えを教えてくれました。
でも彼の言葉で唯一引っかかるものがありました。
「パレスチナのアラブ人の文化と、ユダヤの文化を比較するとユダヤの方が優れていると思う。もちろん全ての人間は平等だと思っている。でも文化のレベルで比べた時、彼らの文化やイスラム教はジハードとか言ってテロを起こしたりprimitve(原始的)だ。アラブ人は俺たちのユダヤの文化に学ぶべき、フォローすべきことがあると思う。」
アラブ人が劣っていると彼が言った訳ではないですが、なんだかこの言葉を聞いた時にユダヤ人のアラブに対する偏見を垣間見た気がしました。
僕は彼に「今まで旅してきてイスラム教はとても論理的な宗教だと思ったし、さらにISISとかは宗教を利用しているだけのテロ組織。アラブ人の文化は全然原始的ではないと思うけど」と言ったのですが、彼はなんだかあまり納得していない様子でした。
正直、これ以上深掘りするのは失礼だと思ったので聞いてませんが、彼にはおそらくアラブ人の友達がいる訳でもないし、アラブの文化を直接体験した訳でもないと思います。彼が旅行した国を聞いたけど、その中にアラブ圏の国はありませんでした。
そんな文化に優劣をつけても仕方ないと僕は思うんですけど、偏見とかをなくして、お互いが理解しあうためには個人レベルで友達になっていくしかないんじゃないかなあ。
そしたらアラブ人もいいやつじゃん!ってなってくれると思うんだけど。
難しいのかな。
まとめ
彼から話を聞く前は、完全に僕はパレスチナの肩を持っていたのですが、
イスラエル人の立場になって考えてみると、テロから自分たちの命を守るためならパレスチナ人を制限・管理しようっていう考えになってしまう気持ちも分かりました。
どちらかの得になることは、どちらかの損になることなので本当にどう解決すればいいのか難しいです。
でも客観的な数字でみると、戦闘で殺された数はパレスチナ人の方が圧倒的に多いし、現在のパレスチナ人の人権が無視された状況は絶対に看過されてはならないものだと思います。
イスラエルがこれからパレスチナに対して態度を軟化させていく方向になって、一刻も早くパレスチナに平和が戻ることを祈っています。
祈るだけじゃなくて自分にもできることがないか、探していこうと思っています。それがどんな方法になるのかは今は分かりませんが。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
たまにブログ読んだよ〜ってLINEとかで友達が連絡をくれるんですが、めちゃくちゃ嬉しいです。これからもコメント待ってます。
次回は平和活動家・イブラヒムおじさんのピースハウスに泊まってきた時のことを書きたいと思います!
実はこのおじいさん、ホワイトハウスや数々の国際会議に呼ばれるほどのすごい人らしい。
お楽しみに。
【国を出れない】IDのないパレスチナ人の家に泊まって話を聞いてきた
前回記事
今回のイスラエルの旅で絶対にやろうと思っていたこと。
それは、パレスチナの人の家と、イスラエルの人の家の両方に泊まって、両方からイスラエルパレスチナ問題について考えを聞くこと。
その両方と直接話すことで、第三者である自分が客観的にみて考えることができるかなと思った。
まずはパレスチナの人の家に泊まって、現状を聞いてから、感じた問題点をイスラエル人にぶつけて考えを聞こうという魂胆。
今は便利な時代で、Couchsurfingという外国で無料でホストをしてくれる人を探せるアプリがあるのでそれを使って、泊めてくれる優しい人を探した。
※以下、ちょっと長いけどぜひ読んでください
パレスチナ人の家へ
パレスチナ自治区のラマラに住むFayez Kawamlehさん。
彼はパレスチナ伝統のダンス「ダブケ」のダンサーの30才。イベント会社で働きながら、週末はダブケのダンスを練習する日々。
待ち合わせ場所に彼は車で現れて、僕をピックアップしてくれてセキュリティのしっかりしたパレスチナの中では高級なマンションに案内してくれた。
これが彼の部屋。キッチン、寝室、ベランダ、リビングルームなど揃っているとても綺麗な家。4人家族が暮らせそうなくらい広い。さもいい暮らしをしているのかなと思わされる彼だけど...実は
国内に閉じ込められた生活
彼はパスポートを持っていない。
ドバイのアブダビで12歳まで生まれ育って、そのあとパレスチナ人のIDを手に入れるために家族で移り住んできた。
しかし、インティファーダというパレスチナ民衆のイスラエルに対する蜂起が起こって、イスラエル政府が態度を硬化させたことにより、ファイーズさんはID発給をストップされた。
だから彼は何のIDも持っていないので、外国に行くことができない。
正確には外国に行けるけど、それっきり行ったらそれっきり帰ってこれないそうだ。
父親と妹はIDもらえたけど、母親と彼はもらえず、イスラエル政府によって引き離されている状況なのだ。
彼が所属するパレスチナ伝統のダンスグループは毎年数ヶ国で海外公演を行うそうだが、
メンバーの中で彼だけがツアーに参加できないそうだ。彼だけがIDを持っていないから。
彼になすすべはなく、外国に行かないという行動をイスラエル政府に対する彼なりのレジスタンスとして捉えているそうだ。
警察も関与しないパレスチナの現状
ベランダでタバコを吸いながら、パレスチナの現状、僕の質問に彼は全て真摯に答えてくれた。
area Bは パレスチナとイスラエル共同でパトロールするところ
彼が住むラマラという都市はarea Cで、そこにはパレスチナの警察も入ってこれないらしい。
だからといって、イスラエルの警察がいるのかと思って街を見渡しても見当たらない。
実は、彼いわく、イスラエル政府はここの治安とかはどうでもよくて、何が起こっても関与しないらしい。たとえ殺人が起こっても、誰も助けにこない。パレスチナの警察も入ってこれないから。
さらに、その地域に建てられた建物は全てイスラエルの許可がないので、いつでもイスラエルの都合で壊したりできるらしい。
何でこんなことをするかって言うと、最終的にその土地をイスラエルの土地にしたいから。
そこにユダヤ人用の定住居を建てて、電気代も安く、タダに近いような値段にしてユダヤ人を呼び込んで、ユダヤ人が住む割合を無理矢理あげようとしてるんだって。
ここはユダヤ人が実質住んでる地域だよって世界にアピールするために。
イスラエルのことは批判してはいけない
ある日、早朝の4時頃にドアをノックする音でファイーズさんは目覚めた。
ドア穴を覗くとイスラエルの警察がドアを激しくノックしてる。「開けなかったら壊すぞ!」と言って。
開けると部屋の中を検閲して、職業なども聞かれたが、Fayezさんの家に疑わしいものは何もなかったので、彼は家に戻ってドアを閉めていろと言われた。
しかし、となりに住む人は活動家だった。
ドア穴から覗くと、警察はその人をドアの外に出して拘束した後、部屋の中を検閲して、最終的に彼をどこかへ連れて行ってしまった。
罪状は詳しくは分からないが、彼は9ヶ月も牢屋に入れられたそうだ。
彼は現在も刑期が伸びていて、牢屋に入れられているらしい。
イスラエルの警察がパレスチナ人を逮捕するのに2つ理由がある。
①武器の所持←これはまあまだ分かる。
②イスラエルに批判的な意見を言う、Facebookに書くなどしたから←完全に言論の自由の侵害
この活動家は②が原因で捕まったらしく、批判的な姿勢を崩さないため牢屋に入れられたままらしい。
正直、俄かには信じがたい話だった。
完全に人権の侵害だ。
僕はこの街に来るのにもバスを使ったが、街を移動するごとに検問があった。
僕たち旅行者はパスポートを見せればOK。時には顔パスで大丈夫だが、
パレスチナ人はバスを一々降りてIDを見せなければならない。
そして何か問題が起こると、検問所を封鎖して通れなくする。
彼は、「イスラエルはパレスチナ人を家畜のように扱っている」と言っていた。
彼らの言いなりで全て決められてしまう。
彼の話し方は落ち着いていたが、彼の口調には静かな怒りが感じられた。
イスラエルとの問題についてどう思ってる?
イスラエル問題について意見を聞いてみたところ、
彼の意見は終始して
「イスラエルは宗教を政治道具として使っている」だった。
ユダヤ人が神から約束された土地だからエルサレムに住むと言うのは分かるけど、何故それでもともと住んでいた俺たちを追い出す?一緒にエルサレムに住めばいいじゃん。
さらにそれ何千年前の話だし、誰がそんなの決めたんだよ。
本当に信心深いユダヤ教徒ならわかるけど、テルアビブ(首都)とかに住んでるユダヤ人なんて全然信心深くない人たちばかりで、
その人たちは土地を拡大したいばかりに、「神から約束された土地だから」という宗教を政治利用しているだけだろ。
勝手に壁を建てて、検問を作り、移動を制限して、徐々にパレスチナ人の人口を減らし、ユダヤ人の人口を増やし、実質的にユダヤ人の土地にしようとしている。ひどいやり方だ。
(以上彼の言葉)
彼はユダヤ人やユダヤ教に対しては反感も持っていないが、それを政治利用するイスラエルに反感を持っているのだ。
この彼の言葉を理解するには、シオニズムという言葉を理解することが必要です。
シオニズムとは、ユダヤ教の約束の地とされるシオンの丘(エルサレムのこと)にユダヤ人だけの国家を樹立することを目指すユダヤ人の近代的運動のことで、第二次世界大戦後いろんな政治的後押しを受けてイスラエル国の樹立につながりました。世界中でホロコーストに対して同情する流れができていたことも大きかったと言われています。
しかし、そのシオンの地にはもともとパレスチナ人が住んでいる。ので追い出してしまおうというわけです。
このシオニズムには全てのユダヤ人が賛同している訳ではありません。民族主義的にユダヤ人の国家を建設しようとするシオニズムは、ユダヤ教の教えに反しているそうです。(参照http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd100.html)
まとめ
Fayezさんの話は、本当に衝撃的で、客観的に話を聞いても明らかにイスラエルのやっていることは間違っていると思わされる内容だった。
最後別れる時、もし将来IDをゲットしたら日本に行くよと言ってくれたけど、彼はどういう気持ちだったんだろう。。
今まで日本にいた時は、パレスチナのニュースとかを見ても「ひどいなあ」とは思うけど、正直他人事に感じていたけど、こうして友達ができて直接話を聞いてみると、本当に事の重大さを実感して真剣に考えるようになりました。
これを読んでくださってる皆さんにも少しでも僕の感じた事が伝われば幸いです。
パレスチナの現状を詳しく知りたい方はぜひこの記事を読んでください。衝撃でした。
パレスチナ・ガザ地区はなぜ「世界最大の監獄」になったのか?|ゼロから問題を解説 | クーリエ・ジャポン
次回は、イスラエル人の家に泊まって、今回感じたイスラエルの問題についてイスラエル人はどう思ってるのか直接聞きに行きます。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
パレスチナ難民キャンプに行ったら喧嘩になった
こんにちは。まおです。
前回の記事の続きです
パレスチナ自治区のベツレヘムを訪れた僕は、近くにパレスチナ難民キャンプがあるというので行ってみました。
アイーダ難民キャンプ
アイーダ難民キャンプというところで、ここには約5000~6000人の人が住んでいるそうです。もともと住んでいた土地をイスラエルに追い出され、住む場所を失った人たち。中には家族を殺された人もたくさんいるそうです。
入り口の門には大きな鍵の形をしたモニュメントが。
これはパレスチナ人は故郷の地に帰る"鍵"をまだ持っているぞということを表しているそうです。
門の左に掲げられている少年は、イスラエルに対するデモの最中に最初に亡くなった少年らしい。
こんなにたくさんの子が巻き込まれたのか...
分離壁には戦闘の跡なのか黒いしみが残っている。
難民キャンプとは言っても、テント暮らしな訳ではありません。
こういうちゃんとした建物に住んでいます。でも建物と建物の間隔はとても狭くて、プライバシーなどはほとんどないそうです。
子供たちが楽しそうに自転車で遊んでました。
かわいい
帰り際に少年たちと喧嘩に
難民キャンプとはいえ、やっぱり子供はどこに行ってもかわいいですね。こういう罪のない子たちに明るい未来を…
みたいな感じで記事を終わりにできたらよかったんですが、そうもいきませんでした。
難民キャンプから出る際に10~12才くらいの少年グループに声をかけられた。
"Welcome to Aida Camp!"
その中でもガキ大将っぽい子が、どこから来たの?日本かみたいな感じで話しかけてくる。
そしてお腹が減ってるからお金をくれとせびり出した。
でも、僕は小さい子供にはお金をあげないと決めているのでもちろん断った。
すると、少年のうちの一人、10才くらいの子が「カモン!」と言って、腕を力強く引っ張ってきた。
舐められてるな〜と思いながらついて行くと
"Give me your iPhone!"
と言いながら俺のiPhoneを取ろうとしてきて、
しまいに俺の足を蹴ってきた。
「パシン!」
ムカついてとっさにその子の頰をビンタしてしまった。結構自分でも驚いた。ものを取られそうになったから防衛本能が出たんだと思う。
周りの子はびっくりしつつもゲラゲラ笑ってて、このままじゃまずいなと思ったので足早に背を向けて帰った。
帰り道も子供達が追いかけてきて
"Fuck you!" と言いながら石を投げてきた。
ここ以外でもパレスチナの子たちからすれ違いざまに唾をはきかけられたり、石を投げられたりすることが何度かあった。
難民キャンプに住んでいるからストレスもたまるのかな、とかイスラエルから差別を受けているからその分アジア人を差別することで解消しているんだろうか、、
とかいろんなことを考えつつも、何だか暗い気持ちにさせられた出来事でした。
シリアスな感じのブログが続いていますが、もうしばらくお付き合いください。
次回はパレスチナ人の家に泊まりに行って、実際に話を聞いてみます!
その次の記事ではイスラエルのユダヤ人の家にも泊まりに行って、両方の側からの意見を対等に聞いた結果僕が思ったことを客観的に書いていければなと思います。
【まるで家畜扱い...】パレスチナ自治区に行ってきた
こんにちは。まおです。
前回はエルサレムを観光しましたが、ここは実質イスラエルが支配している場所なので兵士や警察もたくさんいて安全でした。
どうしても見たかったのは、イスラエルとパレスチナを分断する壁。
その壁のパレスチナ側には平和を願う数々のアーティストによるグラフィティが描かれているそうで、世界的に有名な匿名アーティスト・バンクシーの作品もあるそうです。
パレスチナ自治区とは
自治区とあるようにパレスチナは正式には国ではありません。なので軍隊もなく、自国通貨もないので、イスラエルと同じシェケルというお金を使っています。
パレスチナ自治区と行っても、ガザ地区とヨルダン川西岸地区に分けられていて、観光客である僕でも行けるのはヨルダン川西岸地区だけ。(それでも少し危険ですが)
ガザ地区は、世界最大の監獄とか天井のない監獄と呼ばれていて、反乱デモやイスラエル軍による攻撃が今でも続いており、死傷者も何万人も出ているかなり危険な場所です。
ベツレヘムへ
エルサレムからバスに乗って1時間。ベツレヘムというイエスが生まれたとされる街にやってきました。
丘の上にたくさん集合住宅を建てられていて、ユダヤ人の入植者数を増やそうとしているのが分かる。
分離壁のアート
しばらく道を歩いていると、こんな絵を普通の道の壁に見つけました。
なんだか悲しくなる。。
そして、あのバンクシーの絵も!
これはガソリンスタンドの壁の裏側にありました。
なぜだかよく分かりませんが、そこで働いてたパレスチナ人の兄ちゃんたちと仲良くなって、洗車体験をさせてもらいました(笑)
そして分離壁の方へ歩いていくと
これもバンクシーのグラフィティだそうです。
そして分離壁へ。
左に監視塔が見えます。(今は使われていなさそうだけど)
アパルトヘイト撤廃に尽力したマンデラ大統領が言うように、パレスチナの人たちの自由がない限り、人類の自由は達成されないでしょう。
壁をずっと見ていたら情報量の多さというか、人々の無念さ、平和を願う心の重量感に押しつぶされそうになりました。
バンクシーミュージアム
バンクシーミュージアムという所にも行ったのですが、そこの展示が残酷でした。
パレスチナの人たちは全員この緑色のIDカードを携帯することを義務付けられているらしい。これってアパルトヘイトの時にも同じようなのを見た気が・・・
これは2014年の7,8月に起きたガザでの戦闘で、パレスチナ側は2202人が亡くなって、軍備的に圧倒的なイスラエル側は73人が亡くなったというもの。
人の命は計れない比べられないとは思いますが、これを見るとイスラエルの不条理さにやる瀬無くなった。
帰りのバスで検問。まるで家畜のような扱い
ベツレヘムでの観光を終え、そのあとラマラという街に寄った後、エルサレムに帰るバスの途中。
行きのバスでは何もなくダイレクトに来れたのに、帰りのバスでは途中で降りてバスを乗り換えるように言われた。
何かと思ったら検問。
そう、パレスチナ側からイスラエル側に来る人だけ検問でチェックしているそうなのです。
この空港のセキュリティチェックより厳しそうな鉄格子に囲まれた所で順番待ち。
奥にいるイスラエルの職員がボタンを押すと、この鉄製の回転ドアが動いて奥に進める仕組み。
一人一人パレスチナの人は、荷物をX線機器に通して、IDカードを職員に見せている。
10分くらい待ってようやく僕の番。僕は顔つきでアジア人だからかパスポートを見せると何の質問もなく無言でボタンを押して、ドアが開き通してもらえた。
正直言ってめちゃくちゃムカついた。イスラエルの職員のボタン一つで、「通ってよし」「まだ通るな」と決められて、「俺は家畜じゃないんだぞ!」と叫びたくなった。
列を待ってる人のなかで僕以外は全員おそらくパレスチナ人でしたが、買い物に行く途中のお母さんとか、仕事に行く途中の人みたいな人もいました。
ただ隣町に行きたいだけの人もいるでしょう。
僕と違って、こういう検問を毎日のようにやらされているのが、今のパレスチナの人の現実でした。
もちろんイスラエル側からすれば治安、テロ対策のためという言い分はあると思います。それでも、それを押し付けられているほとんどの善良なパレスチナの人たちの気持ちを考えると、無力感が募りました。
次回はパレスチナ難民キャンプに行ってきた時のことを書きたいと思います。